長崎県佐世保市で起きた高校1年生女子による同級生殺害事件。16歳の少女が起こした事件としては、あまりに衝撃的だった。一個人のブログで語るべき事件でないのは重々承知しているが、おそらく発達障害をもつ加害少女が今後どのように扱われていくのか気になって仕方ない。高校1年生の少女が同級生の女の子を殺害・解体するという凄惨な事件が起きて二週間が経ち、女子生徒の精神鑑定のための鑑定留置が行われることが決まった。少女を知る人の話では、少女には幼少期から感情の起伏の激しさや異常な行動が見られたという。亡くなった症状の母親は生前「親でも想像できないいたずらをし、その度が最近、超えていて困っている。人にいたずらを見せて喜ぶようなところがある。私の前ではおとなしくしていたが、お友達にひどいことをしても、『それみたことか』と逆なでするようなことを平気で言う。うちの子は人の気持ちがまったく理解できないみたい」 と話していたという。少女は幼少期から他者への共感性を著しく欠いていた。「友達もほとんどいなかった」との証言もあることから少女は幼少期から他者とのコミュニケーションに難を抱えていた。情緒面に発達障害を抱えていることは明らかだったと思う。だが、母親は少女の知能の高さゆえか、体面を気にするあまりか、どこか「他の子と違う」と心に引っかかっていながらも、専門機関に相談することもなく「普通の子」として育ててきたのだろう。実際、アスペルガー症候群・高機能自閉症など知能に遅れのない発達障害の場合、それと気づかず”普通に”育ててしまう親は多いという。大抵は親の親類、兄弟・姉妹や友人からの助言によって専門機関に相談したり、児童精神化医の診察を経て療育にいたる。療育によって他者とのかかわり方や感情表現などを学んでいく。障害が完治するわけではないが一定のソーシャルスキルを身につけることは可能だ。加害少女の父親は、「地元で知らぬ人はいない」と言うほどの有名人だった。都内の有名私大卒を卒業後、佐世保市で弁護士をしている。スピードスケートの選手としても活躍し、国体にも毎年のように出場していた。女子生徒も同じ競技に親しみ、女子生徒と同じ高校から父親と同じ私大に進んだ兄も選手として活動、母親はこの競技の連盟会長を務めていた。「地元の名士」「地元の有力者」といった家庭環境が、他者からの助言を受けられない状況をつくっていたのだとしたら親の因果が子に災いしたと言わざるを得ない。子供の親にとって我が子を「障害者と認めること」は辛い作業である。医師から宣告されても受け入れられない親は多い。地域社会で君臨していた少女の両親にとって、少女を障害者として認めることは、ありえないことだったかもしれない。少女は「感情の起伏が激しい」「男子にも殴りかかる」「頭が良すぎて特殊な子」と見られていた。小学校の頃から小動物への虐待も目撃されていた。憶測だが母親自身も少女から暴力を振るわれたこともあったはず。少女の両親が子供の異常を受け入れ、勇気をもって少女を早期から専門機関にゆだね、それ相応の療育を受けさせていたなら、結果は違っていただろう。少女は小学校での事件以来、スクールカウンセラーや教師たちによって見守りが続けられていた。この事実からも「普通の子ではない」というのは明らかだったのだ。父親は金属バットで殴られ医者に見せるまで、小動物を解体していることも知らなかったという。小学校のときから異常な行動を見せていたにもかかわらず、「子供に無関心で放置していた」とのそしりは免れない面はあると思う。少女が「文武両道で多才だった」のは母親の指示・影響によるものだと思われる。母親の死後、少女の様子が激変したというのは、何をして良いのか悪いのか分からなくなったのではないか。ある意味母親の死によって少女は抑圧から解放されたのだ。開放された少女の行動は一気に内に溜め込んだ猟奇的興味に向かった。もちろん少女に”猟奇的”という感覚はないだろうが。少女は母親の死によって「したいことが出来るようになった」のではなかろうか。少女が父親を金属バットで殴り殺そうとしたのは、恐らく過去の父親の言動に対する怒りが、”フラッシュバック”して行動に及んだのだと思う。類似の障害を持つ者に特有の行動である。周りから見れば「なんでその程度のことで」というほどの些細なことが理由だろう。少女は自分のかねてより興味を抱いていた「人を殺してみたい」衝動に走った。少女の興味(嗜好と言っても良い)は人体解剖だったのだ。ただ、それだけのこと。仮に今回の事件が回避できたとしても、いずれ少女は殺人に及んだだろう。そのときの被害者は父親あるいは継母、あるいは兄だったかもしれない。