努力と練習と習熟と
発達障害者が言われて困惑する言葉の筆頭はこれだろう。
努力が足りない、
いったいどこまで努力すればいいのか?
必要な努力とはどういうもの?
悩みこむ人は少なくない。
いわゆるスキルに関してだが、facebookのフィードにこのことに関連する興味深い話が流れてきた。
「どんなスキルでも1万時間練習すれば達人になれる」は正しくない:研究結果 | ライフハッカー[日本版]
スキル習得1万時間説というのは、あちこちに流布していて、努力や根性が好きな人には目標設定が明確になるといった意味で好意的に受け取られる反面、他人に対して「努力不足」というレッテルを貼る材料にもなってしまいがちな側面もある。
上記の記事で取り上げられているのはブリンストン大学の研究だそうだ。
目的としているスキルによってスキル習得に練習時間の関与する比率が異なるというのはなかなか興味深いし、平均だろうが、「(意図的)練習量が技量の差の原因のわずか12%しか占めていない」という数字も、その数値の低さにかなりびっくりである。
スキルの習得には練習は必要なものではあるものの、練習・訓練以外の要素がここまで大きいとなると、「とにかく練習!」「ひたすらトレーニング」というのが合理的でないということになり、努力万能主義がはびこるのに一定の歯止めが掛けられる可能性をもった研究成果ではないかと思う。
練習量以外のどういったことが技量の差を決定しているのか?これからの研究の伸展が気になるところでもあるが、日本などはもともと努力主義のはびこりやすい土壌なだけに、練習以外の要素をもっと積極的に考えていくことは悪くはないだろう。
同じスキルに到達するのにサックリ到達してしまう人もいれば、長時間かかる人もいる。
この違いにはいろいろな要素が考えられる。「身体機能(器用さ、知覚等)」「好き嫌い」「指導者」「周囲の励まし・評価」「コツの知識量」、「動作を認知する力」、「動作を再現する力」「必要な情報を収集する力」「コツを構築する力」…。
冷やし中華から見えてくる努力の方向性
ちょっと思い出したのが錦糸卵(薄焼きの卵を細く切ったもの)。そう、細切りになって冷やし中華の上に鎮座していたり、ちらし寿司の上にちりばめられていたりするあれである。
卵を薄く焼いて切っただけのものであるが、これが意外にコツがある。
まず配合。味優先か見た目優先かで配合が変わる。塩か白だしあたりで味を調えるが、できるだけ細く切りたい時は水どき片栗粉少々を加えておくと張りが出やすく、細く切りやすく仕上がる。
あとは焼いてから切ればOK…とはいかないのが困ったところで焼いたり切ったりにも結構コツがいる。まあ錦糸卵の作り方はこの記事の主題ではないので、切る部分にしぼって話を進める。
焼き上がった卵を重ねて適当に折りたたんで切るわけだがそう簡単にうまくいかない。
焼いた卵は結構柔らかいのでつぶれやすいし何枚も重ねていると角度もずれやすい。お手々を猫の手にして、ちょっとずつずらしていく…ことができても意外に難航するポイント。
何度も練習して力の加減等を体得…なんてことを言わなくてもあっという間にうまくなる方法がある。
実は初心者や下手な人を見ているとたいてい包丁の刃渡りをケチって使っている。
刃渡りをケチって使えば力が必要になり、つぶれやすく、ずれやすくなる。
「刃渡りのうち最低10センチくらいは使って、力を今までより半分くらいぬいて切ってみて」
これでたいてい格段に上手に切れるようになる。
この場合、「刃渡りの使い方」という視点がなければいくら練習してもそうそう簡単にはうまくならない。
「慣れ」とか「練習」をやたら強調するひとは、できない人の動作を観察できていないという部分はある場合が往々にしてあるのだろう。
ただ、毎度コツを教えればいいのか?というとそうでもない。
「視点」を自分で見つけられるようにしないと後年自力でスキルを身につけられないとったことになりかねない。
発達障害者の場合、どうしても1箇所に注目が向くとそこからフォーカスをはずしにくいという人は多い。
上手なやり方と下手なやり方の「違い」を多方面から観察していくといったトレーニングをしていくことは療育等でも重視されて良いのではないだろうかと思う。
「どこが違う?」「何が違う?」といった問いかけというサポートがあれば、結構身につくものなのではないかと私は思っている。
努力もトレーニングも効率よくすれば負荷は減るもんね。
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