2月4日に「東京は大雪」と書いたので、今回は「東京大雪警報」にしました
ベランダにも雪が積もっています。雪が降り続いていて、とても寒く、風が強くなっています。
俺様は お部屋の中で ぬくぬく・・・
リラックス・タイムは 机の上に たくさんの物が上がっていますが
勉強するときは 片付けてから 勉強をしています。
遊んでいる時の写真を見て、いつもそうだと思っている人がいますが、ちゃんと片付けていますよ
ぷんぷん!なのです。
清水坂公園では 子供も大人も楽しく雪遊び〜♪
東京で雪遊びができるのは 年に数回です。
遊ぶぞ〜〜☆という意気込みを感じますね
☆本日のニュースから☆
<雪の状況>
8日午後11時の積雪の深さは、松本市で49センチ、甲府43センチ、前橋31センチ、熊谷43センチ、千葉31センチ、東京27センチ、などとなっている。東京は1969年以来45年ぶり、熊谷は1954年以来60年ぶりで観測史上2位、千葉は1966年に観測を開始してから1位の積雪となる大雪となった。
2月7日は「北方領土の日」でした。
安倍首相 北方領土返還要求全国大会
〜抜粋〜
政府としては、「北方四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結する」との基本方針に従い、領土問題の最終的解決に向けて、進展が得られるよう、引き続き、強い意志をもって交渉を進めてまいります。
戦後、67年を経過してもなお、北方領土問題が未解決であること、元島民の皆様も御高齢となり、早急に解決をしなければならないことを自覚しながら対応してまいります。
北方領土問題は国民全体の問題であり、ロシアとの交渉を進展させるためには、政府と国民が一丸となって取り組むことが重要であります。
北方領土返還要求運動が全国的な運動として、引き続き一層強力に推進されますことを祈念いたしまして、私のあいさつといたします。
https://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201302/07hoppou.html
私の尊敬する先生 末次一郎先生(故人)の2011年に雑誌に掲載された記事が紹介されていたものを要約して紹介している記事を見つけました。
北方領土・中曽根元首相 無私の愛国心と人格力を!
秘話公開・・・この人物がいなければ沖縄返還も危うかった
ミスター北方領土・末次一郎の交渉相手を魅了した無私の愛国心と人格力を獲得せよ
かつてわが国には、一民間人でありながら、北方領土返還交渉に尽力し、北方領土を最も”日本に近づけた”人物がいた。
四島一括返還という大原則を曲げることなく旧ソ連、ロシアと渡り合い、そのぶれない姿勢で相手から敬意すら獲得し「ミスター北方領土」と呼ばれた故・末次一郎氏である。
我々は今、彼から何を学ぶべきか、生前の末次氏と親交を結び、その逝去の際には葬儀委員長を務めた元首相・中曽根康弘氏がその比類なき精神を振り返る。
1991年4月、旧ソ連のゴルバチョフ大統領が海部俊樹首相と会談した際、会場の外で会談内容を聞き出し、日本側のプラス、マイナスをメモにして海部首相に渡していたのが末次氏である。
以下は、インタビューに答える中曽根首相の発言要旨である。
1.末次君は、1973年から日ソの学者による「日ソ専門家会議」を開催し、日ソ間の理解を深めようと努力し、独自のパイプを築いていた。何しろ100回以上、ソ連を訪問しましたから。時の総理や外務省だけでなく、交渉の落とし所をソ連の高官にもアドバイスしていました。それでどちらからも信頼されていた。
2.外交交渉は勝ち負けではない。どちらも納得しなければならない。それには、当事者同志が信頼関係で結ばれねばならない。
そもそも向こうには、北方領土問題が「問題」だという認識がない。一方、末次君には四島一括返還という主張に揺るぎがない。議論だけなら永遠に平行線です。そこで、ソ連要人との信頼関係に努めたのです。
末次君の人物評価軸は一定していました。自分の国を愛しているかどうか。
立場や考えが異なる人間であっても、愛国者同志ならその一点で話がつながる。
ナンバー2だったヤコブレフやプリマコフ首相との信頼関係もそうでした。
3.プリマコフから「ミスター北方領土」からもらった般若心経の掛け軸は、今でも飾っている」と聞きました。プリマコフの奥さんが亡くなったときに、自分で写経し贈ったそうです。それは「日本人はこういう考え方をする」ということをレクチャーする意味もあったでしょう。実際、ヤコブレフやプリマコフの発言は、日本にとってプラスの方向に変わっていきました。
冷戦時代のソ連は、「領土問題は存在しない」という姿勢だった。
それが大きく変化したのは、1991年海部首相とゴルバチョフ大統領との「日ソ共同声明」で、北方四島が解決されるべき領土問題であることが初めて確認された。
ソ連がロシアとなった1993年、細川首相とエリツイン大統領との間で、日ロ間の領土問題は、北方領土の帰属の問題であると位置づけた東京宣言が署名された。
冷戦の終了により、末次氏らの努力が実を結び始めた・・・。
ところが、2000年にプーチンが大統領に就任し資源強国と化すと強硬姿勢に転じ、2008年にメドベージェフ大統領が誕生すると歯舞・色丹の二島返還すら認めなくなった。その後国後島を訪問するなど、不法占領の既成事実化を大きく進めている。
4.末次君は、20世紀中に解決させようと奔走した。戦後処理は領土問題が解決しなければ終わらないという信念でした。この揺らぎのなさは、ソ連側からも尊敬されていました。
「二島返してくれると言うから貰っておけば良い」という安易な姿勢から解決はありえないでしょう。
安倍首相は、「北方領土返還要求全国大会」の後に ソチオリンピックに出発しました
領土問題が解決したら・・・最後の1個のリングが点灯するかもね?な〜んて思っちゃいました。
美しく、芸術的で 国の力と希望 そして・・誇り高いロシアを感じさせる開会式でした。
日本のオリンピックは ロンドンをソチを上回る開会式でなくてはなりません。
猪瀬さんが作ろうとしていた、未熟でめちゃくちゃな開会式であってはならないと思います。
日本人のプロデュースにこだわらずに 開会式を考えてほしいと思います。