「聲の形」から考える、「いまここにある障害者いじめ」(1)

0
Nice!

もうこのブログでも繰り返しとりあげていますが、いま「聲の形」というまんがが話題になっています。 聲の形 第1巻・第2巻大今良時講談社 少年マガジンKC現在週刊少年マガジンに連載中のまんがで、単行本は現時点で2冊出ており、3月17日には第3巻が発売される予定になっています。このまんがは、様々なとらえかたができる懐の深さをもっていて、特に最近の連載部分では主人公をめぐる三角関係を中核にしたラブコメとしての要素が強まっている部分もありますが(それはそれで非常に濃密に描かれていて面白いのですが)、今回はあえて、このまんがが最初に注目された要素である「障害者に対するいじめ」という観点から少し考察していきたいと思います。このまんがにおける「障害者といじめ」という問題は、単行本の第1巻に特に集中して描かれています。以下、ネタバレになりますので未読でネタバレを読みたくないという方はご注意ください。好奇心旺盛で退屈が大嫌いな少年・石田将也が通う小学校(当然ですが普通校です)に、聴覚障害をもった少女・西宮硝子が転校してきます。通常級に通いながら、校内に設置された「きこえの教室」のサポートを受けることができるという、「障害に理解のある学校(硝子の母親の台詞)」への転校のはずでした。(第2巻までまとめて読むと、硝子は転校前からいじめの被害者だったことがわかります)そんな、転校してきた硝子をとりまく、「障害者にやさしくしましょう」的な平和な歓迎ムードはしかし、すぐに不穏な空気に変わっていきます。筆談ノートによるコミュニケーション等が必要で、しばしば硝子のために停滞する授業の流れ。校内の合唱コンクールの練習で障害のため歌がうまく歌えず、参加辞退を打診された硝子は、筆談で「うたえるようになりたい」と、わずかな自己主張をします。それに対して「面倒なものを押し付けられた」という本音を隠さない担任教師。結局合唱コンクールはさんざんな結果となり、これがある種のきっかけとなって「障害ゆえにクラスに迷惑をかけている」という「理由」のもとに、硝子への過酷ないじめが始まります。硝子にとって、障害ある自分と健常のクラスメイトとのコミュニケーションの挑戦の象徴であった大きな「筆談ノート」は学校の池に捨てられ、これまた障害を乗り越えていくための象徴でもある補聴器は執拗に奪われて壊され続け、耳が聞こえないことをからかうようないじめも日常的に繰り返されるようになります。これら硝子へのいじめは、このクラスのなかではかっちりと正当化されています。つまり、「障害のせいでみんなに迷惑をかけている」「迷惑をかけているのに、障害ゆえにさまざまな保護を受けている(その端的な事実が、他のみんなと同じように学校に通うことができて、いろいろなことが障害ゆえに目こぼしされて、『多少の犠牲を払ってでも対応してあげなければならない子』という『特別待遇』を受けている、といったことになるのでしょう)」、だから「そういう『不公平』『逆差別』に対して、クラス内で厳しい対応(=いじめ)を受けることもある程度仕方ない」といった理屈です。そしてその「空気」は、全クラスメイトだけでなく、担任の教師にまで共有されていきます。ところで、この「聲の形」のいじめのストーリーを思い起こしたのは、先日、ツイッターで渡邊芳之・帯広畜産大教授(わいなべ先生)がつぶやいていた、このツイート群を見たからでした。https://togetter.com/li/619447つまり、「いじめ」というのは、「公的な制裁システム、公平性保障システム」でカバーしきれない(とそのコミュニティに属する人々が認識する)「不公平、アンフェアネス」を衡平化するための私的制裁システムである、と整理することができるように思います。こう整理すると、「聲の形」において、聴覚障害者・西宮硝子が、なぜ「保護の対象」から「いじめの対象」に移行していったのかという、「構図」が見えてくると思います。(次回に続きます。)