前々回の続きになります。以前も書いたとおり、私は知人(A)に大金を騙し取られ、Aは詐欺で捕まりました。その件は執行猶予付きの判決でしたが、その直後に別件で再び捕まったらしく、けっきょく刑務所に入ったという話を、担当の刑事さんから聞きました。それ以降は刑事さんと連絡を取ることもなくなったので、Aがその後どこで何をしているのか全く知らなかったし、別に知りたいとも思いませんでした。私には恨んでいる人がたくさんいます。社会人時代に陰湿な苛めで私を退職させた同僚。高校時代に私が不登校になるキッカケを作った同級生。他にもいろいろと。何年経っても、ずっと、ずっと、根に持っています。でも私の「恨んでいる人リスト」に、Aは入っていませんでした。思いだして嫌な気持ちになることは度々あったけど、恨む気持ちは殆どありませんでした。かなり酷いことをされて嫌な思いをしたにもかかわらず恨んでいない理由は、Aは、私が受けたダメージ以上のダメージを受けているはずだと思ったからです。懲役という罰を受け、刑期を終えて出てきても、前科は一生消えない。ここからは私の勝手なイメージですが、前科なんてついたら人生終わり。自分の名前も名乗れない、まともな仕事にもつけない。だから私以上に苦しい思いをしているはず。・・・と、思っていたのに。まさか本名と顔写真を堂々とネットに出して、華やかな仕事に就き、派手な生活をしていたとは、全くの想定外でした。「知りたくなかった」と思いました。それなのに何故か、Aの会社名で検索してみたり、会社のサイトを隅々まで読んでみたり、FBの日記を全部読んでみたり・・・知りたくないと言いつつも、詳しく調べようとしている私。どこかに不幸な要素は無いか・・・Aにとって不利な情報は無いか・・・と必死に探している。そんなことしても何の意味もないのに。時間がもったいないだけなのにね・・・。ところで。18年前、Aは「両親を亡くした苦学生」という可哀想な設定で、私からお金を騙し取りました。(実際には両親は生きていて、Aの逮捕後、お金は両親から返して貰いました)「いかにも嘘っぽい話なのに、なんで騙されたの?」ってみんなから言われましたが、私は逆に「これのどこが嘘っぽいの?」と不思議でした。生きてるのに「亡くなった」とか、学生じゃないのに「学生」とか、そんな酷い嘘を言う人がいるなんて思ってもいませんでした。これがアスペルガーの想像力の弱さでしょうか。