「障害者へのいじめ」というデリケートなテーマを扱った、気鋭の漫画家大今良時氏の話題作、「聲の形」のレビュー(単行本1巻および連載中の内容について)記事、今回でシリーズ記事として3回目になります。
聲の形 第1巻大今良時講談社 少年マガジンKC(上が楽天BOOKS、下がAmazon)※ネタバレの内容を含んでいますので、未読の方はご注意下さい。前回、この漫画と「名誉健常者ロールモデル」との関係について少しだけ触れましたが、今回はその話題はいったん横においておいて、先に別のポイントについて触れたいと思います。(とはいえ、このポイントをあらかじめ整理しておくことは、「聲の形」と「名誉健常者ロールモデル」について考えるためにもとても大事なことだと思っています。)この「聲の形」という作品ですが、実はいくつものバージョンがあって、「作者がマガジン新人賞をとったオリジナル版」「オリジナル版をリメイクした読みきり版」「さらにそれを膨らませて、週刊少年マガジン上で現在も続いている連載版」という3つが世に出ています。私が読んだのは「リメイク読みきり版」と「連載版」ですが、この2つの作品で、もっとも根本的に変わった点があります。それは、完全に将也の視点だけで描かれるようになったことです。こちらのインタビューで大今氏自ら語っていますが、https://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130807/E1375808157611.html「クロノ・トリガー」のマンガを描いていました「週刊少年マガジン」で新連載『聲の形』大今良時に聞く2読切ではとにかく必要最低限の要素──それぞれの登場人物の感情がどう動き、何がどうなったという“情報”を作品の時間軸に合わせてひとつひとつ描きこんだり、コンパクトに情報を伝えるために、聴覚障害者の西宮硝子視点のシーンも描かなければならなかった。連載では視点をなるべく主人公の石田将也にしぼって、理解できない相手との間でどうやって理解を深めていくかということに焦点を当てるつもりです。“読み味”は読切と少し違うかもしれません。このインタビューをふまえて改めて読みきり版を読んでみると、確かに、部分的に硝子視点での描写が含まれていることに気づきます。それが連載になって、読み切りと同じシーンの描写でも、将也の心情描写は大幅に増えた一方で、将也からは見えなかったこと・その瞬間に将也が気づかなかったことについては描写されなくなりました。つまり、基本的にすべて将也視点だけで描かれるようになっているわけです。これは実は非常に大きな変更です。なぜなら、この変更によって、硝子が何を考えているのか、そのダイレクトな答えはまったく分からなくなり、すべて「将也の目から見える世界」によってのみ語られることになったからです。そして、既に書いたとおり(作者自身もインタビューで語っているとおり)、硝子は「自分の気持ちをまだ表していない」のです。この2つを組み合わせるとどうなるか。つまり、硝子の本当の気持ちは、ここまでの連載で、目に見える形では実はほとんど描かれていないんじゃないろうか、ということにならないでしょうか?だとすると、ここまでの連載で描かれている「天使のような善人」としての硝子は、社会で生きていくための「殻」でしかなく、その殻を破った人間はまだ誰もいない、ということになるでしょう。そしてたぶん、その「殻」を破るのは、将也しかありえない。実はいちど、将也は硝子の「殻」を揺さぶっています。それが、硝子が転校するきっかけになったと(おそらく思われる)、最後の二人の大喧嘩のシーンです。それまで、どんな熾烈ないじめを受けても、高価な補聴器を何度も壊されても、決して激高せず、歯向かわず、むしろ「ごめんなさい」と謝ってばかりだった硝子が、このときだけは全力で将也に抗い、本当に自分が言いたいことを全力で(まさに体当たりで)将也にぶつけています。このときの喧嘩は、ある意味とても「健全な」喧嘩であって、いじめのようなものとは対極にあるものだと思います。だから、硝子にとっても、この喧嘩は決してマイナスなものではなかったはず。それが転校のきっかけになってしまったのは、連載版のそれぞれの登場人物の役回りから推測するに、硝子の母親の決断だったのではないだろうか…と思われます。だとすれば、この「喧嘩事件」の硝子にとっての悲劇とは、将也との喧嘩に巻き込まれて(ケガとかをして)しまったということではなく、むしろまったく逆なんだ、ということに気づきます。(次回に続きます。)