このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。前回のエントリでは、「しない」(やりたくない)というコミュニケーションを教える際には、同時に「する」(やりたい)というコミュニケーションを教える必要があることから、これがABAでいうところの「分化強化学習」に該当する、という話題について書きました。つまり、「○○をやる?」という刺激(問いかけ)に対して、「する(やりたい)」と「しない(やりたくない)」という2つの異なった反応を使い分けるという学習をしなければならない、ということです。そして、分化強化学習としての「しない」のトレーニングの難しさの1つとして、子どもの「する(やりたい)」と「しない(やりたくない)」の2つの反応を分ける要因が、子どもの内面の「やりたい」「やりたくない」という動機付けにあることがあげられます。つまり、子どもがいまその行為を「やりたい」のか「やりたくない」のかが、大人が外から見ても「見えない」わけです。そういう状況だと、子どもが「する」と答えたらその行為をやらせる、あるいは「しない」と答えたらその行為をやらせない、という対応をしたとしても、必ずしもそれが強化になっていない可能性があるわけですね。この問題を、どうやって解決していけばいいのでしょうか。実は、この問題には、ある一面では非常にエレガントな解決の構造があります。それは、とりあえず、「する」と言われたら必ずその行為をやらせ、「しない」と言われたらその行為をやらせなければ、分化強化学習そのものは成立している。ということです。どういうことか分かるでしょうか。例えば、散歩途中の神社に立ち寄ってお参りに行くか行かないかを聞いた場合を考えてみましょう。1)お参りに「いきたい」ときに「する」と答えた場合 やりたいことがかなうので、「する」と答える反応が強化される。2)お参りに「いきたい」ときに「しない」と答えた場合 やりたいことがかなわないので、「しない」と答える反応は消去ないし弱化される。3)お参りに「いきたくない」ときに「しない」と答えた場合 やりたくない希望がかなうので、「しない」と答える反応が強化される。4)お参りに「いきたくない」ときに「する」と答えた場合 やりたくない希望がかなわないので、「する」と答える反応は弱化される。これを見ると、いわゆる強化の随伴性としてはすべて正しいことが分かります。ですから、ある程度「する」「しない」の答えの使い分けができるようになって以降であれば、上記のエレガントな構造に乗っかることで、「する」「しない」の反応はうまく分化強化されていって定着させることができると考えられます。ここでのポイントは、「言われたとおりに必ず反応する」ことです。外から見てやりたそうにしてるのに「しない」と反応された場合、あるいはやりたくなさそうなのに「する」と反応された場合に、つい私たちは気を利かせたつもりで、反応とは逆にやらせたり、やらせなかったりといった対応をとりがちです。でも、この対応をとってしまった瞬間に、上記のエレガントな構造は壊れてしまいます。ですから、たとえ子どもの反応が間違ってそうだな、という直感をもったときであっても、杓子定規に「言われたとおりに対応する」こと、これが実はとても重要なことになるわけです。この分化強化学習のプロセスについては、あといくつか考えておいたほうがいいことがありますので、それについては次回書きたいと思います。(次回に続きます。)