幼い時から母の操り人形だった。母の思い通りな娘でなければ母は気が狂ったようになった。優秀で、品行方正で、髪の毛みつあみで、ピアノ習って、ピンクのスカートはいて。でも、長い髪の毛も、ピンクのスカートも大嫌いだった。でも、そんなこと言ったら何されるか解らなかった。ひとつひとつ、母の異常なあれこれは思い出すたび、パニック発作お越しそうになる。(気になる方は、カテゴリーの 「私が診断されるまで」をご覧下さい)私の首が苦しいのは手術痕が苦しい訳じゃない。幼い時から母に首絞められてるんだ。こんな歳になって、ますます幼い時からの傷痕が疼いて苦しくもがいてる。娘に絶縁状まで書かせ、送りつけられた母。仕方ない。私は、自分の旦那と息子を母から守るにはそれしかなかった。未だに母を憎み生きてく私。罰だ。パニック発作は母を許せず生きてく最低な人間への罰。仕方ない。罰を受けよう。パニック発作に怯える毎日が、幼い頃、母の顔色伺って怯えた日々とまるで同じ。私のパニック発作は罰だ。