昨日は極低出生体重児の出生あり(当然入院)未明に呼吸障害の早産児、午前中に低出生体重の双胎。保育器も人工呼吸器もほぼ全機稼働している。ほぼ、というのは突発的な入院(たとえば胎盤早期剥離とか)あるいは機器の故障にそなえて1台は予備を置いているからだが。その予備を使い切るかどうかがいつも胃痛の種である。ちなみに明日は他院で手術を終えて帰ってくる予定の子がいて、その子が帰ってきて残り1台ずつの保育器や人工呼吸器を使い始めたらいよいよ当院は残数0となる。突発的な分娩時仮死などあったら、当座はもちろん蘇生するとして、数時間以内に他院を探さなければならなくなる。かなり追い込まれた状況ではある。それは何とか避けたいと思って、身勝手を承知で帰院の延期ができないか相談してはみたのだが、この子が明日出て行くことを見越してあれこれの計画を立てているからと、延期は断られてしまった。しかしそれでも今夜のうちは予備があるといえば、無いわけではないのだ。各施設に、取り置きの空床はたいてい存在するはずなのだ。その取り置き以外に空きがあれば、施設間でやりとりする空床状況表にはじめて公示される。そのような臍繰り的な、とっておきの1床はたいがいあるものだ。現状でそれを確保しておくのは身勝手でも怠慢でもないと私は思う。リスク管理と言ってほしい。ただ、京都のように大都市の割に大きな施設がなくて、中小施設が乱立している土地では、各施設がそのような臍繰りをいちいち確保していると、総計ではずいぶん無駄が大きいと思う。NICU認可病床は京都市内に私が認知している限り総計24床存在する(他に6床が工事中で休んでいる)。この24床が一つの施設にまとまって存在するとしたら、臍繰りも一施設分で済む。この臍繰りを思い切って吐くことができるか、それはどれくらい他院を頼れるかということの裏返しなのだが、お互いに囲い込みを強化しあい始めたら、どうしたって臍繰りは死守しなければならなくなる。セーフティネットが機能不全な社会での経済活動の常だ。しかし明日からの当院のようにいよいよ立錐の余地すらなくなった場合に、それでも急に発生するNICU入院を近隣で受け止めていただけるなら、それなら臍繰りなどと貧乏くさいことを言わずに、手持ちのリソースをすべて空床として世間に解放できるかも知れない。臍繰り云々の裏話はあれ、うちは小児外科も心臓血管外科もない、小児内科と眼科だけのNICUだが、とにかくぎりぎりまで空床を開けろというポリシーである。うちが空床を開けることで、近隣も堅い財布のひもが緩むかも知れない。とにかくあそこは開いているという安心感を、京都市内の周産期施設にはできるだけ持っていただきたいと願う。