私は妊娠が分かったその日から、毎日のように出産関連の本やサイトを熟読して勉強しました。特に気になったのは「母子の愛情をしっかり育む為には完母で、産後は母子同室で…」といった話。私はそういった知識をしっかり頭に叩き込みました。だから私は母子同室制の病院での出産を選んだし、母乳がよく出るように体操をしたりしてました。だけどまさかの早産で子どもは保育器へ。私も難産で体調を崩してしまいました。完母、同室の希望は叶いませんでした。その後、子どもはすぐに元気になったけど私は全然体調が良くならず、入院の延長を医師に勧められましたが、私は遅れた分を早く取り戻したかったので延長を拒否し、1週間で母子共に退院をしました。しかしそれからしばらくして私は鬱病になりました。育児がうまくいかず、夜中に家を飛び出して夫に連れ戻されるのを繰り返す毎日でした。うまくいかないのは、完母、同室ができなかったことが原因だと思いこみ、自責の念で気が狂ってしまったんです。保育器なんかに入れずにずっとそばにいれば良かったんだろうか。そうしたら完母、同室の希望は叶っただろう。でもそんなことしたら私はもっと身体を悪くしていただろうと思う。ではどうすればよかったんだろうか。何も知らなければ良かったのかもしれない。過剰な知識を持ってしまった事を悔みました。亡くなった友達は産後の体調がとても悪かったにもかかわらず、我が子の為にと母子同室で完母で頑張りました。だけど最悪の結果になってしまいました。知識というものは便利ですが、持ちすぎるのはかえって危険だと思いました。いえ、もちろん完母も同室も良いことだと思います。それを推奨するのも良いでしょう。だけどそこに愛情うんぬんの話をからめてくるからおかしなことになる。母乳や同室の話を例に挙げたけど、それだけじゃないです。オムツに関しても、「紙オムツは布より手間をかけないから愛情も薄れる」という話を聞いたことがあります。確かに紙は布に比べると手間が掛からず楽だけど、楽して何が悪いの?って、今はそう思います。楽した分、ママの笑顔が増えるならそれでいいじゃないですか。いろんな選択肢があるのだから、状況に応じてママが無理せず楽しいと思える方法を選ぶ、それこそがいちばんの愛情ではないかと。今になってそう思います。でも初めての育児は何も分からないので、本やネットの情報を鵜呑みにしてしまいます。母乳=愛情と言われれば、何も疑わずにそうなんだと思いこみます。でもそれを信じて頑張って、頑張り過ぎて命を落としてしまった人がいる、そういった現実もあるのです。