自己決定というハードル

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Nice!

「○○と△△、どっちがいい?」とか、「○○するか、△△するか、のび太はどうする?」とか、そういう「選ぶ」とか「決める」とかがなかなか出来ないのび太。小さい時は、のび太と同い年の子が「ママ、○よりこっちの方がいいと思うよ」なんて言う言葉に、腰が抜けるほど驚いたことがあった。のび太にも聞いてみた。「ねえ、のび太、これ、赤と青とどっち・・・」「#&%$*!?*%~~~~~!!!」質問も終わらないうちに、意味不明な言葉を発してどこかへ走り出すのび太・・・当時は、言葉が通じないから、言葉が伝われば・・・と思っていた。しかし・・・入学する時に、いろいろ文房具やら何やら揃える時も「のび太、この中でどれがいい?」と聞いても、「・・・・・う~~~~~!!わかんないよ~~~!!!」と、パニくる。まるで、尋ねた私が悪者みたいだ。登校する時に霧雨が・・・「雨降ってるからね、傘差して行くんだよ」というと、「え・・・でも・・・みんなも傘差してくるのかな?」「雨だからみんなもさして来るよ」と、傘を差させて登校させた。と、しばらくすると・・・走って戻ってくるのび太。「○くん、傘差してなかったから、ボクもいらない!」と・・・(爆)まあ、仕方がない。「みんなと同じ」がこだわりだから。だけど、学校生活は自己決定を迫られる場面が多々ある。その時に、ボーゼンとしていたり、選べなくて戸惑っていたり、結局、最後に残ってしまってハズレ的なものをあてがわれたり、決定できなくて自分でパニクッたり・・・「選ぶ」とか「決める」という思考は決定後のことを想像出来ないと出来ないのかもしれない。つまり、「想像力の欠如」を特徴とする自閉圏ののび太には「選ぶ」「決める」という行為は、想像できない未来に進むということ。それはおそらく、真っ暗闇の部屋に足を踏み入れるような恐怖感があるに違いない。たかが「赤か青か」だとしても。「大きくなったら何になりたい」の質問に答えられなかった幼稚園卒園時のアルバムに「じゃあ、『折り紙とあや取りの名人』ね~」と、幼稚園時代、大人顔負けだった折り紙とあや取りの腕前に先生がつけてくれた称号そのまま書いた。その気になってくれたからよかったけど(汗)その後、1年生の七夕の短冊に、みんなは「将来なりたいもの」を書いている中で、のび太は「雲の上で寝てみたい」と、書いていた(笑)これはこれでナイスなんだけど(笑)先生はそういう意味で書かせてはいないだろうけどね。その後、「大きくなったらFMのDJになりたい」と、何を思ったか、何がのび太の中で変化したかわからないけどそういう想像力が出来るようになったことにビックリした。未来を想像する、ということは、夢を見ることが出来る、ということ。夢を見る、ということは、ある意味、幸せなことだと思う。その後、妄想族と化したのび太(笑)地図を見ては妄想旅行。歴史の本を読んでは妄想タイムトリップ。こういうことが出来るようになってからか、「選ぶ」「決める」ということが、いくらか、スムーズに出来るようになった気がするなぁ。こういうところにも、自閉症でありながら、苦手部分を克服しようとする、のび太の成長を感じたりする、今日この頃なのだ・・・