この自転車で、毎日南町田駅まで通っていました。無料駐輪場へブチ込んで、電車に乗る。。。初日の帰り、駅から出て来ると……いつも載ってる自転車がパンクしてて、引っ張って家まで帰りました。で、翌日、乗る自転車がありません。パンクを直してる暇もありません。で、ふと見ると……あるじゃん。1台。。。母親が乗ってたやつです。歩くよりラクだと言って、いつも自転車で歩き回ってました。倒れた5/2の日の午前中も、この自転車であちこち回り、映画の営業をしていたみたいです。そっか、要するにこの自転車に乗ってけ、ってことか。サドルさえ上げれば、結構乗れました。ギアも内装3段だし。(^o^)津久井教生(あえて呼びつけ)とのデコボコトークの日、彼は現場に1日つきあってくれて、そのとき言ってくれました。「お母さん、毎日ずっとここに来てるんだな。一番後ろの席あたりにいつも座ってるよ」「ヒロキはあんまり来てないな。来てもすぐいなくなったりする。出たり入ったりしてる」テレビ局からもオフォーのかかっている霊感の持ち主の言葉です。でも、私には何にも見えないし、何にも感じない。。。後日のこと。まったく別の方が、教生とまったく同じことを私に言ってくれました。母親は毎日ちゃん来ていると。座ってる場所は。。。何でまた、まったく同じなの??? そりゃもう、ビックリビックリです。わかったことは、私の自転車をパンクさせたのは、ウチの母親だってことだけです。私が乗ってけば、一緒について行ける。。。(^o^)なにはともあれ。。。山、頂上までやってきたんだなあ、って感じてます。一番高いとこまで、登ってきて、てっぺんから景色を眺めてる感じです。こういうのは、霊感がなくても見えるもんです。(^o^)振り返ると……ここまで登ってきた道のりが見えます。ヒロキと一緒に、ずっと登ってきた道。。。最初はほんと、ヒロキと二人きりでした。最初に背中を押してくれた椎名さん(音楽)、応援してくれる大勢の人たち、カンパをくれた大勢の人たち、いてはくれたけど、でも気持ちは一人ぼっち。ずっと孤独でした。それが、岡田さん(アソシエイトプロデューサー)という盟友と出会ったところから、単なる斜面に階段が出来始め。。。福田監督に出会い、青木さん(カメラマン)に出会い、松本さん(プロデューサー)に出会い、それからあとはもうお任せ状態。(^^;九合目あたりで母親がいなくなってしまったのは想定外。。。喋るの苦手だから、いざ喋らなきゃならなくなると、気合いが空回りして喧嘩ごしになる私です。ノホホン喋ってると伝わらないっていう危機感、あるからかなあ。。。すぐキレる奴。相手の立場なんか無視で、みんなを怒らせまくっていました。スミマセン。m(__)mま、内山先生曰く、アスペだもん。> 自分 (^o^)そして目の前には……これから降りて行く道も見えます。少人数だった登り道に比べて、降りて行く道の方が賑わってます。最初からの応援団のみなさんが、今はこっち側に回ってきてくれていて、待っていてくれてます。登りより、もう思いっきり気楽です。(^o^)つくしんぼにずっといて、私はヒロキを育ててきました。だから、今回は映画館にいて、ヒロキの代わりの映画を育ててきました。常駐していた理由です。ヒマだなあ、とか言われましたけど。ヒマじゃねーよ。こちとりゃ3倍仕事してたんだよ。だから寝てなくて、血圧上がりっぱなしなんだよ。(^o^)今は、山積みとなった仕事を片付けるべく、シルバーウィークなんて関係ありません。(^^;セカンドステージはまだ序盤。恵比寿は、セカンドステージ序盤の奇襲作戦だったんだな、これが。頂上には辿り着いたけど、クライマックスはまだまだずっと先です。
by よしだやこらサンさて、血圧正常値に戻して、10月からはドサ回りだ。。。(^o^)v
ご協力感謝! またぼちぼち沈みます。(^^;