火曜会のメンバーと会っていた時、ここは居心地がいい…と思った比べる対象あってそう思うのかも知れない…活動仲間と何年も行動を共にしてきたのに時々…モヤモヤしたものを 感じずにはいられなかったただ大変な現状を語り合い、「自分だけではない…」という安心を得たり慰め合ったり他の誰かの無理解や心ない世間の対応を哀しみ批判してみても社会的な支援の不足を嘆いたり充実を待っているだけではいつまで経っても 願う暮らしは得られないのではないかと思った親だからこそ出来ること…今だから出来ること…たくさんあるのに…支援の様子を実践例として語っても「貴女だからできること…」「貴女のこどもと私のこどもは違う…」なんて言われてしまえば話はそれで終わる 自分が持ち上げられたり羨望を受けたりするような立場に居るとさらに居心地が悪くて仕方ない賞賛されたいのでも 自慢がしたいのでもなくただ 一緒に成長していきたいと思っていた押しつけるつもりもなく それぞれの環境の違い、こどもの違いにも目を向けて慎重に言葉にしていたあんく達自閉症の人達が 生きやすくなるように…せめてその子と家族の多大な負担が減るように…自分も悩みの渦中にあって…話して心が軽くなったり 痛みを分かち合って一時的に楽になることはあってもそれだけではいつまでもその暮らしにくさは変わらない…代わりに支援してくれる人や場所をどれだけ持ってもますます暮らしにくくなってしまう…それが現実だからこそ 知恵を出し合い、切磋琢磨して 親子共に成長出来たら…と思ったのだ覚悟を決めて向き合うことを続けてきた仲間はその子との暮らしをマイナスにはしていない幼児期、その子が居ては休めない…という暮らしだったとしても成長に従ってその子が居ないと淋しい…と仰るそういうご家族を何人も知っているでも 会にはそういう方は少なかった人を変えることは難しい…自分が変わらなければ…今も これからも学ぶことは沢山あるのではないかと思うあんく達は今もこの先も成長し続けているのだから…これで終わり…なんて私には思えなかっただから 学習の場はこの先も必要だと思いたかったそれでももう それまでの形では無理だった私は活動の意味を見失っていたそしてあの日から1年半もの時間が経ってしまった主治医の先生の講演会を最後に 地域での活動を脱退したそのことを長く書けなかったのは そこからずっと動き出せずにいたから…もちろん 卒業を控えたあんくの支援を休むわけにはいかないし、個人的には志を失ったわけではなかった…それでも 社会的には其処に心を残したまま… 学習の場に身を置くことも少なくなった あんく一人の支援に活かすだけ振り返り、立ち戻って考え続けていたあの時行き着いたのは 結局最悪の想定…活動組織の解散…それに近い形…?いえ… もっと最悪だった組織そのものは残った…残したいという代表者の方の意向で…意欲を失った仲間の意識をそのままの形で取り戻すことは出来ない… だから変えようと提案した提案したけれど… 一方では名声や地位を手放したくないと…そう言われているように聞こえた会員ではなくそちらを選ばれた結果…ということ 一人として辞めてほしくないそう仰っていたのに… ああ… 自分もまた駒に過ぎないのか…そう思うと淋しかった 虚しかった私が居たいと思えなくなってしまった自分が辞めれば他の方々が辞めるだろうことも予測がついた自惚れてそう思ったのではなくメンバーの活動への不満を知っていたから…活動方針が変わらなければ会員は離れていく…変わらないまま続けたとして私はもう 潰れそうだった…とっくにキャパは越えていた自分が壊したようなもの…