2000年10月のこと。他の子とどこかが違うと感じてはいたものも、児相のドクターから殿の障害をはっきりと告げられました。 ( やっぱり 障害だったのか ) と、思うのと同時に「 知恵おくれ 」 と言ったドクターの言葉にショックを覚えたことを記憶しています。” 知的障害 ”と言われてもあまりピンとこなかったのに、”知恵おくれ”という表現にショックを受けました。 ”おくれ”という表現に、なにかしらの標準から劣っている、と感じショックを受けたのだと思います。今あらためて考えてみると、殿父が感じたショックは、(先天性)障害をどのように捉えていたかという当時の殿父の障害観の裏返しだったのではないかと思います。 保護者が我が子の障害を初めて知るいうことは、障害に接点のない生活を送ってきた方に その人自身の障害観が突きつけられる瞬間と言えるのではないでしょうか。 障害を、見て見ぬふりをしたり忌み嫌う 『 障り(さわり)』として捉えていればいるほど、眼前に我が子や孫の障害が示された時のショックや拒否は大きいのではないか、と考えたりします。この葛藤やギャップやを埋(う)めていくことを ” 受容 ”って呼ぶのかもしれませんね。以前、新聞に連載されていた『いのちのコンパス』では、障害児支援に携わるセラピストが妊娠し胎児に障害があることが分かり出産を悩むという記事がありました。 その中で ( この子を、中絶したら 障害のある子にかかわる資格はない )というような思いが語られていたと思います。 この記事を読んで、支援者としての障害観と保護者としての障害観にも差異があるんだな、って思っていました。 障害のある子の子育ては、ポピュラーじゃないし、どう育てたらいいかわかんないし、一人じゃ無理だし、不安だらけで困ったことだらけ。今の時代はスペチャルちゃんの育児はまだまだ大変です。でもいつか環境も制度も整備されてスペシャルな育児も安心してできる時代がくるといいなー!そんな時代になったなら、きっと障害観も現在とは全く違うんじゃないかな。将来を悲観し無理心中をしてしまう若い母子なんて居なくなるんじゃないかな。そんな時代が来るといいなー♪ なんとなく思うのだけどいわゆる” きょうだい児 ” に無理心中の発想は少ないんじゃないだろうか。障害のある兄弟と共に育つ経験によって創られるきょうだい児の障害観に特別支援教育や共生社会のヒントがあるような気がしています。