続き。うちの親は、虐待やネグレクトこそ全くなかったですが、その代わり、ものすごく過干渉でした。思うところあって敢えて詳しくは書きませんけど。そんな親の敷いたレールの上を歩くことに、反発する気持ちもあったのかもしれません。私はいつの間にか、そのレールから脱線し始めました。高校時代に不登校になったこと。成績がどんどん下がっていったこと。地元の大学ではなく遠く離れた東京の短大に進学したこと。これらはすべて親の意に反する行動でした。そして、就職か進学かという人生の大きな選択を誰にも相談せずに1人で勝手に決めてしまったことが、ついに親の逆鱗に触れてしまいました。そんなわけで、親に学費支援を頼める状況ではなく、私は合格の喜びに浸っている場合ではありませんでした。入学金の納入期日が迫っていたので、急いで入学金を用意しなければならなかったのです。短大時代のアルバイトの貯金もありましたが、まだ足りなかったので、短期派遣に登録して、日雇いの仕事をしながらお金を稼ぎました。仕事内容を選んでいる余裕はなく、紹介された仕事はすべて引き受けていましたが、私に向いてない仕事ばかりだったので、精神的にかなりやられてしまいましたが・・・なんとか期日ぎりぎりに入学金を納めることができ、ついに大学へ入学できる準備が整いました。今度こそ、過去の私を知る人が誰もいない場所で、新しい人間として新しい人生を送りたい…と強く思っていたので、短大時代の知人とは関わりを一切絶つことにしました。なので、短大の謝恩会と卒業旅行には参加しませんでした。時間とお金に余裕がなかったのでどっちにしろ行けなかっただろうけど。こうして色々ありながらも念願の大学生になりました。二十歳の時です。私がアスペルガーという障害を知るのは、まだまだ先のことです。