我が家の自閉症:YOOは、小学校5年生になり新学期始まったばかりにもかかわらず、落ち着いた様子を見せている。4年生から始めたソフトボールも、全ての練習に加できているわけではないにしても、まあなんとか続いている。練習をサボって帰ってくることもしばしばあり、その度に「部活 やめますか?」と問うてきたが、ついに1年間、本人の口から「やめます!」という言葉が出ることはなかった。といっても、キャッチボールさえまともに出来ない有様なので当然のことながら試合に出場することはなく、練習のみ参加させてもらっていた。(親としては十分満足♪)新学期が始まって、初めての練習試合。本人の口から「試合に行きたい」と申し出があった。ユニフォームが着たいのだという。父・・「なるほど、ユニフォームか」「それはいいな」ちょっと嬉しかった。3月に行われた卒業生の壮行試合のとき、他の子はユニフォームを着ていたのにYOOだけが普通のジャージ姿だったから、父としても胸がつまる思いがあったのだ。先生に相談したところ、快く聞き入れてくださり晴れてユニフォームが着れる事となった。(それまで知らなかったが、ユニフォームは全員学校からのレンタルだったのだ)試合当日、息子のユニフォーム姿を見て胸が熱くなった。父が少年の頃、スポーツはレギュラー選手でなければ存在価値はないと思っていた。レギュラーだ、補欠だと執拗にこだわり、とりわけ”補欠”の烙印を押されたときの屈辱と絶望は、その後の態度を悪化させ気持もゆがめていった。世間ではよく、「補欠でも皆と一緒に戦っているんだ」とか、「補欠だからと言って負い目を感じることはない」などと言ったりもするが、「そんなの嘘だ」「奇麗事だ」「補欠になってクサラナイ者などいるものか」と思っていた。(”補欠”という言葉も良くないと思う)全てにおいてハンデを背負った子供を持った今、少年の頃の卑屈な態度は間違いだったと気付かされる。あの頃の自分が受けた屈辱の正体は、じつは自分が作り出していたものだった。ユニフォームを着て、無邪気に喜ぶYOOちゃんの姿は、父の記憶の奥に刻まれた深くよどんだわだかまりを取り払ってくれた。さて、「練習試合とはいえ、試合に変わりないのだから、しっかり応援しようね」と言い聞かせ父も一緒に会場へと向かった。イニングは憶えていないが、ノーアウト満塁のチャンス。大事な場面です。ところが、顧問の先生は、父に気を使ったのかYOOちゃんをバッターボックスへ送り出した。(えっ? 打たせてくれるのか。ノーアウトだからって他の子に申し訳ない・・・・・)ニッコニコのYOOちゃん。一球目は空振り、続いて二球目・・・・・ファースト側へファール「おお!!!当てた。当てたぞ。 すげー!!」三球目・・・空振り三振。進塁しようとして歩き出したところを先生に止められて帰ってきた。とんだピンチヒッター(ピンチを招くヒッター)だったが、父は思わず泣きたくなった。父:「よくやった!!当てたじゃないか。がんばったな、よくがんばった」あまりに嬉しくて、その場にいなかったYOO母に電話して報告。健常児の親から見ると、バカな親なんだろうなきっと。ところで・・・F先生、お気遣いありがとうございました。