音楽の仕事をしていて楽しいことの1つに、あらゆる世代の人と一緒に共演できることがある。それが子供であり、大学生であり、自分よりちょっと年上であったり、老人の域に達する人であっても、それぞれに共演することで学ぶことは多いのだが、リタイアメントのない音楽界では、とりわけシニア世代と巡り会うチャンスが多い。先週の仕事で一緒になったドラマーのジョージは86歳。年齢を知って驚かされるのはプレイばかりでなく、その奢らない態度と常に新鮮であろうとする精神だ。一点たりとも自分のキャリアを誇示したり、ネガティブな考え方をすることはなく、音で教えてくれるのだった。そんなジョージは休憩時間にパーティーの会場で配られたシャンペンを口にして、シャンペンは嫌いだと言った。「大戦中に軍隊がヨーロッパのどこかで足止めを食らって、持っていた水が底をついた後、近くにはシャンペン工場しか無かった。それで、俺たちはがれきの中でシャンペンで歯を磨き、食事を作り、シャンペンを飲んで生き延びたんだよ。だから人生で飲むシャンペンの量はもう充分なんだ」金曜の朝に近所のコミュニティハウスの老人会にボランティアで演奏をしに行くと、そこではたくさんの人たちがダンスをし、それぞれの持ち歌を歌う。 南米の出身と思われる元気なおじいさんは必ず「ベサメ・ムーチョ」を歌い、白人女性はキャバレーシンガーばりにワイヤレスマイクで客席に歌いかける。脳梗塞の後遺症か、表情を変えずゆっくりとしか歩くことのできない男性は美しくも簡単ではない名曲「イマジネイション」を小さな声で完璧に歌い上げた。細身できちんとメイクをした老女がマイクを持ちバンドにキーを告げると、すらりと正確なピッチで歌いだしたのは「On the sunny side of street」。歌い出しからスイングしてゆく様子は熟練の技だ。ステップも加えて歌い終えると、エンディングには最後のビートでストップ・モーション。訊けばやはり大戦中に軍の慰安バンドで歌っていたそうで、「私は90歳なのよ」と目を輝かせて言った。老人に年を言われて「いや、そうは見えませんよ」というのは決まった受け答えのようだが、その青い目と褐色の肌の輝きは即座にそう答えさせるのに何よりもの説得力があった。 彼らの生きている時間のうちに、86年間あったヤンキースタジアムは昨日でクローズし、戦争でたくさんの人が亡くなり、ワールドトレードセンターが完成して崩壊し、黒人が差別から解放され、黒人の大統領候補がいる。 彼らから伝わってくるのは、それでもやっぱりしっかりと生きていたこと。生かされた役目を全うするかのような落ち着きに、僕は自分に与えられた役目をとても大きな時間の中で捉えることになる。そして、少しずつでも一生懸命に生きて歳をとれたら良いと思わせてくれる瞬間なのだった。