ようやく中1日で3連の当直シリーズが明けたと思ったら、東京で重症の妊婦さんの搬送を受け入れられなかった件が問題になっていた。なんだか辛いとかしんどいとか個人的なことを言うのが小さく感じられてしまったので、しばらくあれこれ考えていた。このときに現場でなにが起きていたかを、いちおう周産期医療の周辺で現在もごそごそ動いている身としては、想像できなくもないような気がする。泥沼にはまりかけている紹介元と紹介先のあいだでの言った言わなかった論争までふくめて。そういう立場にいるからこそ、あんまり、当時の状況について想像でものを言うのはためらわれる。大きい声が出せるのはそとにいる人だけだ。まあ、外にいればこそ客観的なお話もできるという利点はあるし、あながち大きい声は下品なばかりとは言えないけど。ご家族の無念は察して余りある。ご冥福を祈りたいと思う。それは当たり前である。当たり前すぎて、書くだけで読者諸賢の常識や読解力に信を置いてないような感さえあり不愉快をご容赦願いたいのだが、でも書いておかないと邪推を呼びそうなので明記しておきます。そう明記するいっぽうで、紋切り型の文句で通り一遍にご冥福を祈った次の段落から言いたい放題をするような、品のない文章は書きたくないものだとも思う。今回の状況に苦言を呈する資格があるのは、本件の発生以前に都立墨東病院産科の人員不足を憂慮してその問題解決に奔走していた人だけだと思うのだが。でもそういう人にはこういう場面ではあんまり陽が当らないものだ。うっかり当ると攻撃のまとにされかねないから、いまは沈潜しておかれたほうがいいのかもしれない。それはともかく、本件で初めて窮状を知った人が墨東病院の産科の先生や他の周産期施設の医師を悪し様に言うのは止めてほしいものだと思う。そういう私も、風の噂に通常分娩が取れなくなってるらしいと聞いて大変だなとは思っていたが、まさか常勤枠9人のうち4人しか埋まってなかったとまでは知らなかったので、もちろん悪く言う資格はない。言うつもりもない。というか、こういう困難な症例を二つ返事で受けられるほど人数余ってるんなら京都へよこしてほしいものだとは是非申し上げたい。東京には施設がたくさんあるから自分のところが引き受けないとという切迫した責任感がないんだろうとかいった、いかにも利いた風な田舎ものの戯れ言も伝わってくる。だったらどこの県立医大ならこの妊婦さんを救えましたかと聞いてみたいものだ。うちなら救えたとかいう類の大口をたたく方々とはあんまりお付き合いしたくないなと思う。臨床に実績のある人はその分野の怖さも知ってるものだから、あんまり強気なことはおっしゃらないものだがね。自分が治療に当るわけではないけれどという立場で東京の人を批判するのは、他人の褌で相撲を取ると言って、本邦ではあんまり美しいとされない態度だと思うんだ。どうだろう。それはそうと。「当直」についてはいろいろと申し上げたい。複数当直を維持するのに常勤枠9人で足りるのだろうか。全員が機械的に同じ回数の当直をしたとして中3日とか4日くらいになるのかな。でも9人も揃えたら、そのなかには当直のできない事情のある医師もどうしても混じってくるものだし。たとえば9人のうち一人は部長なんだろうけど、都立病院の産科部長が当直ばりばり可能な年齢とは考えがたいし。さらに一人か二人は家庭の事情で当直ができなかったり、ほかの一人か二人はまだ駆け出しで一人ぶんにカウントするのがためらわれたり。なんやかやで9人のうち当直レギュラーにカウントできるのは5~6人ってところではなかろうか。それで二人当直だと中1日か2日しか開けられんな。きついな。舛添厚生労働大臣が複数の当直を用意できなくて何のセンターだとかなんとか激しくお怒りだったけど、いやしくも労働分野も管轄する大臣なんだから当直だなんて情けないことを言うなよと思った。夜勤だよ夜勤。当面は当直で回さざるをえない申し訳ないという認識がわずかでもあるんなら、そういう他責的な態度に出るなよと思う。頭が悪そうでみっともない。都知事には、今までいろいろあった人だしあんまり期待することもないけど、「俺は、君のためにこそ死にに行く」の2作目を作られる際に、「過労死してゆく産科医師をみおくる院内売店のおばちゃん」を題材にすることは止めていただきたいと切に願う。まあ、そんな映画は誰も観に来ないだろうけどさ。こういう上にたつ立場の人たちが自分の管轄下にあるはずの事件について他人事みたいに批評家めいた口をきくのはどういうものかね。自分が何とかしますという責任感がなさそうってのはこの政治家たちにこそ当てはまる寸評だと思うのだがね。そのくせ官僚が国を滅ぼすとかと部下の悪口も言うんだよな。部下の人らはどうやって仕事のモチベーション保ってるんだろう。誰が彼らに微笑みかけてくれるんだろう。僕らには赤ちゃんがいるけどね。