きまりや規則にこだわって律儀に守ろうとするのがのび太の特長だ。長所でもあるが自分に勝手に足かせをしているともいえる。「夜は9時に寝る」「朝は7時24分に家を出る」と言った、自分で勝手に決めたスケジュール的なものから、「学校は行かなければいけないところ」」「お友達とは誰とでも仲良くすること」・・・と言ったぼんやりした定義のものから、「廊下は走らない」「給食は残さず食べる」と言ったある意味、不文律のような、でも規則ではないけどいつも言われ続けていること、「人のものを盗んではいけない」「人を殺してはいけない」と言った、法律的なことや倫理的なこと。これはもちろん守らなければいけないのだがのび太の頭の中では決まりや規則で自分の体や心をがんじがらめにしている節がある。問題なのは、ぼんやりした定義のものだ。隣のクラスのBちゃんが学校に行き渋っているらしい。のび太にはそれが「悪」と言っていいほど悪いことに思えるらしいのだ。「Bちゃん、サイアクなんだよ! 学校に行きたくないからって、途中までお母さんと来たのに 嫌だ、って言って帰っちゃったんだよ!」「そっかぁ~でもBちゃん、どうしても嫌なことがあって 行きたくても行けないのかもしれないよ。 Bちゃんは頑張ってるんだから『サイアク』なんて 言っちゃダメだよ」「でも!学校はサボっちゃダメなんだよ! 行かなくちゃいけないんだ!」「なんでもないのにサボるのはダメだけど 体や心が辛いときは休まなくちゃダメだよ!」 「学校は行かなければいけないところ」・・・正確には、親は子供を学校に行かせる義務はあるが子供には行く義務はない。ま、行かないよりは行った方がいいのかな、と思う程度の私の学校の見識だ。辛い思いで無理ををしたり体や心を傷つけてまで行くことはない、と思っている。それをのび太に話しても、なかなか首を縦には振らない。だって、のび太の中では「学校は行かなければいけないところ」が文章として正しいのだ。一体、誰がのび太にそんなことを洗脳したんだ?!のび太はお友達とのいざこざを、余程でなければ家で話してくれません。例えば、怪我をした、血が出た、泣いた、と言う事実があれば言わざるを得ないけど、黙っていればわからないことはわざわざ言わない。それは「お友達とは誰とでも仲良くすること」が、正しい文章だから。「お友達に何度も背中を押されて嫌だった」は、「お友達」に続く文章として正しくない。だから、口には出せない。4年生になってYくん主導らしい、のび太への嫌がらせやからかいが続いている。それがのび太は気づけない。嫌がらせされていることも、いつもからかわれる標的にされていることも、イマイチ自覚がない。そのとき、その瞬間は嫌な思いをするが鬼ごっこで、わ~~~っと全体が走り回れば、嫌な気持ちも忘れるのか?でも、毎日毎日、同じように嫌がらせは続いて少しずつエスカレートしていく。「のび太に嫌なことをする人は のび太にとっては『いい友達』じゃないよ。 本当にいい友達は、 お友達に嫌なことをしたりしないはずだよ。 嫌なことをする友達とは遊ぶ必要ないんだよ」「・・・・・」「高学年なんだからそういうことも考えて。 高学年はお友達を選べるようにならないとね。 それが自分を守ることでもあるんだよ」「・・・・・」絶対に納得できないのび太。「本当の友達とは相手に嫌なことをしない人」が、正しい文章になっていくことを願って、口をすっぱ~~~くして言い続けるしかないのかな。