新生児医療に新人をリクルートするために

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Nice!

若い医師には小児科へ来ようとする人は少なく、小児科の中でも新生児をやろうとする人はなお少ない。新人のリクルートのためには新生児医療のすばらしさをアピールしなければならないと、業界内のメーリングリストでときに声高に語られたりして、やれやれと思う。新生児医療が詰まらない仕事だとは決して言わない。それは医療一般がそうであるように、新生児医療もけっしてクソ仕事ではない。新生児医療とて、最先端のところにはマンパワーは潤沢にある。先天性横隔膜へルニアでNOつかったりECMO回したり、左心低形成症候群の子にぎりぎりの低酸素療法で体循環を維持したり、そういう華々しい症例が次々に入ってくる施設なら、薄給で(あるいは給料は派遣元施設持ちでも)ばりばり働く若い人たちもまた次々にやってくる。絶えずNICUに泊まり込み、そういう施設に入院するほどの症例が現れるや奪い合うかのように群がりよってくる。最新の病態生理の知識を駆使した、半分以上「保険の通っていない」最新治療が行われ、その治療方針もまた同じメーリングリストで声高に語られる。そして、そういう急性期を乗り越え、そういう施設に入院するほどでもなくなった赤ちゃんたちは、「後方病床」へバックトランスファーされる。じっくり体重を増やして自宅へ帰れるほどまでに大きくなるまでの、あるいは、「在宅人工呼吸」などでとにもかくにも自宅へ帰れるようになるまでの時間を過ごすために。手が足りないのは後方病床なのだ。たとえばうちのような。心臓も外科も診る態勢になく、ひっそりと超低出生体重児にカンガルーケアを行いながら、ときに依頼される新生児一過性多呼吸やら発熱やらの赤ちゃんを迎え搬送に行くような病院。NICUにとりあえず一人留守番を置いて毎日外来をしなければならんような病院。行われる治療の9割9分までは議論の余地なく確立された病院。そういう病院に、勉強にこようという物好きはそうそう居ない。やってくるのは、大学院入学の順番を1~2年待っている期間の、ほんとは血液志望だったりアレルギー志望だったりする、医局派遣の若者たち。確かにまじめに仕事はするが、生涯を賭けるという気迫には欠ける。むろん、そういう気迫を持っているのなら、当院に来るようではキャリア形成の計画が浅はかであると言えば言えよう。私もそれが分っているからこの記事も愚痴でしかないのだが。うちのような半端な規模の施設では、渡りの途中で2~3年の滞在は良いとしても、それ以上は、投資した時間に対して得られる利益の分が悪すぎる。たしかに、それはそうなのだ。そういう病院に居て、ひたすら空床を公示し続ける。近隣の名だたる施設がつぎつぎ公示空床数を0-0と閉ざしていくなかで、まともに病院の名前を覚えてすらもらえない弱小施設の私たちには、最後まで空床を開け続けるのが存在意義だと思っている。「彼ら」が、それは自分たちが診るほどの症例ではないという、そういう症例を彼らまで回さずうちで食い止めることが、彼らには彼らが診るべき症例に専念してもらうことが、うちの存在意義だとは思っている。でも、そういう仕事に尊敬が集まることはない。彼らの視線には私らの仕事は汚れ仕事である。彼らとて、私らの仕事が停止したら自分たちも立ちつくすしかないとは分っているのだけれど、でも、その仕事の跡取りに娘が惚れても結婚するのは断固反対、議論の余地すらないとでも言うかのような、そういう立ち位置の汚れ仕事である。新人に新生児医療が素晴らしいと思ってもらいたいなら、そう思う君たち自身が、私らの仕事を素晴らしいと心から思ってみろよと思う。そう言われたら君たちは言うだろう。いや自分たちも君たちの仕事の重要さはよく分っている、素晴らしい仕事をなさっていると尊敬していますと。いや、私が言うすばらしさとは、そのすばらしさではないのだ。その違いは君たちに分るだろうか。あるいは、分ったとして、分ったと認める勇気が君たちにあるだろうか。それがわかって、それでも、君たちの仕事がじゃなくて私たちの仕事が(だって君たちの最先端施設より私らのような場末の施設のほうがよほど数は多いのだよ)、すばらしくて生涯を賭けられる仕事であると、新人たちに言えるのなら、新生児医療への新人リクルートは軌道に乗ることだろうと思う。