臨床力ベーシック 

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Nice!

臨床力ベーシック―マニュアル使いこなしOS (CBRレジデント・スキルアップシリーズ (2)) (CBRレジデント・スキルアップシリーズ (2))黒田 俊也 / / シービーアールマニュアル使いこなしOSと銘打ってあるので、てっきり、医者の脳内で各種情報がどう処理されているかといった、いわばメタ診断学のような内容を期待していた。しかしレジデント相手の書物でそんな高尚な内容を期待しても無理なんだろうな。実際には、システマティックレビューで網羅的に診察する方法の推奨であった。その方法論は、初学者なら、たしかに、一度は通らなければならない道である。私など、もはやとうてい初学者などと言ってられない年代の医師にも、時には思い返してみるのもためになることだ。そういう意味では、本書を読んだことには大いに意義があったと思う。しかし病院中のベテランがいちいちシステマティックレビューを毎回やれるかどうか。外来で一人30分かけられる病院ならそれも可能だろうが、応需義務と保険診療の制約の下で医師全員がそれをやった日には病院経営が立ちゆかないだろう。せめて初診外来だけでもその程度の時間がかけられたらと思うのだが。実際にはシステマティックレビューなんて贅沢な手間と時間の使い方が許されるのは病院の医師のなかでもごく一部の人数に限られる。レジデントとその指導医とか。○○リーグ医師とか言ってもてはやされる指導医たちがシステマティックに診ている陰には、大人数かつ大多数の患者さんを「捌く」かのように診ている医師があるはずなのだ。彼らの働きがなければ病院は回らない。いかに天下のK田でもね。にもかかわらず、そういう医師に対する「あんなふうにはなるなよ」とでも言うかのような蔑視的な視線が感じられて、私は本書にはなかなか好意的になれない。本書には繰り返し、たくさんの患者さんを診るが診療が甘い医師と、数は診ないが奥深い診療をする医師とが対比され、前者の見落としを後者が発見して一件落着という逸話が語られる。一部始終を見ていたレジデントはああ後者のような診療をしなければと深く納得する。しかし来院する患者を拒めない日本のシステムにあっては、来院された患者さんは全員その日のうちに拝見しなければならないわけだから、前者の働きがなければ後者はそのスタイルすら保てない。その視点が先達によって明示的に示されないと、世間を知らないレジデントはどうしても前者をバカにするようになる。かつての私がそうだったように。にもまして、数はこなすが診療の浅い医師と数はこなさないが診療の深い医師の対比って、それはほんとうに世間によくある話なのだろうかと疑問である。臨床にも世間一般にも、仕事が速くて的確な人と仕事が遅くてしかも出来の悪い人との対比のほうが、よほどよくあるお話のように思えるのだが、読者諸賢の身の回りでは如何だろうか。著者を中傷するようで恐縮だが、数はこなすが診療の浅い医師云々の構図は、仕事の遅い人が抱く願望あるいは幻想的な存在なのではないかと、昔より多少は数をこなせるようになった私は思うのである。昔は俺もそんな仮想敵をあいてにいろいろ憤慨していたなあと。いやまあ、全部が仮想だったかどうか検討し始めるとオフラインで色々とカドが立ちそうだから止めておきますが。仕事が速くて的確な医師は、むろん必要時にはシステマティックレビューもするんだろうけれど、他にもいろいろな認識システムを使いこなしているはずなのだ。なかば無意識的に運用されている、そういうシステムがどういう構造になっているのか、分析したような書物を是非読みたいものだと思う。