( 特別支援教室からのスタート )新学年が始まりました。義務教育・最後の学年〜9年生のスタートです。新学期の始まり前に 管理職の先生にお願いしていた「交流学級」の列で始業式を迎えました。それが、特別支援学級に伝わっていなかったらしく・・「まこちゃんは○組の列だよ〜」と仲良しのA君が来てくれました。「A君、ごめんね・・今日は交流級に並ぶことになっているの・・・」と話をしていると、特別支援学級の主任担任の○先生が来ました。事情をお話しながら・・・昨年度のことを思い出していました。「そばに寄らないでください。」と 何度も繰り返し話しても、何度もそばに来て・・・その度に まこちゃんは体が硬直して恐怖感で体が震えていました。今年度は そのようなことにならないようにと・・担当の先生は『新しく来た先生になりますから安心してください』と、前校長先生からも 今年度の管理職の先生からもお聞きしていたのに・・・学級便りを見たら・・・『9年生 主任担任○先生』と書いてあり、新任の新人先生は7年生担当となっていました。言葉も無いほど・・・私もまこちゃんも・・・血の気がひきました。そして、ようやく・・・まこちゃんに○先生が急接近して 話をしようとしていたわけがわかりました・・・。私は、昨年のように「憤る」ことさえも 無駄なことに思えました。どんな風に工夫しても、○先生は自分がやりたいように行動をします。ものすごい時間をかけて 何度も何度も何度も話をした記憶も・自分の行動の記憶も 自分の都合で記憶が全消去されてしまいますから=昨年度の手痛い経験からです。できないことをしてほしいと交渉して費やす時間を まこちゃんの教育に使いたいと思いました。まこちゃんは○組には「はいれない」と硬直し震え・・○先生が近づくと 小さな悲鳴を上げて 私の後ろに走って隠れて 私の肩をつかんで震えています。昨年度の事情を 全く知らない普通学級の先生には 私が「過保護」に見えると思いますが、私は まこちゃんの精神状態を守るために学校に付き添っていました。私の後ろに立って、不安げに私の髪をすこしさわっているのは「とても不安な時の行動」です。それを見た人は「あ〜ぁ」と思われたかもしれません 知らない先生に説明をすること=小学校の頃から どれだけ説明し続けてきたか・・・たいていは中学に入るときに 疲れてあきらめてしまうのだと・・・先輩のお母さん達から聞いたことがありました・・・そうだろうな〜と私も感じることがありました・・・でも、私はあきらめが悪いのでいまだに必死なのですが・・・。まこちゃんには いまは「不安なことだらけ」の学校生活のスタートなのです。始業式が終わり、教科書を受け取って・・・何日たっても学年章がきません。○先生に聞きに行くと「学年章は足りないので注文しているそうで、まだ来ていないんですよ。」というお返事・・「でも、学年全員が学年章をつけていましたから、1人分だけ不足というのは?? 交流級の先生に聞いてみますね」というと あわてて「いいえ、私が聞いてきますから」と・・・。頂いた封筒の中には スケート遠足の写真と学年章が入っていました。以前なら、ここで「また嘘?」と勘ぐっていたのですが、もう手元にあるんだから・・・本当でもうそでも もうどうでもいいって思いました。特別支援教育元年が終わり、次の年には〜それぞれの学校の特徴が出て、変化していると思います。予算が与えられないこと・・人的に配置が不可能なこと・・・先生の苦労が大きいことも現場を見ていれば痛いほどわかります。どうしたらいいのだろう・・・そればかりです・・・。理想と現実のギャップは大きいです。まこちゃんの学校でも 今年は研究指定が全て無くなって普通の学校になり、いままでのゆとりのある状態から一気に冷え込んで その大変さが大きくのしかかって来ています。そんな時に・・・と はぁ〜〜とため息がでてしまいます・・・。いまの まこちゃんの心の支えは 交流学級の交流できる時間ですが、交流学級には「学籍」はありません。あくまでも 普通学級の先生方のご厚意で・・・交流にいかせていただいているのです・・・。・・・わがままばかり言えないのですが・・・わがままを言ってしまっています・・・普通学級の先生には感謝ばかりです。特別支援コーディネーターも今年度は変わります。全てが新体制〜〜時間を待っている間に、学校ですごす時間はカウント・ダウンでどんどんと消えていきます。胸が どきどきして 心臓が飛び出しそうになるくらい こころの焦りのような鼓動を感じます・・・。特別支援教室も、学習室から自習室と名称がかわりました。いろんな形態の生徒が自主的に「自習」をします。講師などの手配がつけば指導の先生もつくかもしれませんが・・・予算がどうなるのかまだわかりません。全ての生徒に指導の先生が確実につく・・ということは難しいのが現状です。学校は一生懸命に手をつくしてくれるでしょう・・でも、本当にきびしいんだと感じています。昨年度の学習室では ほとんどの時間 講師の先生や先生がついていましたが(一部は自習)、指定校の解除で、今年は人的配置がかなり厳しく 全ての時間の先生の確保ができません〜学習室であれば先生が必ずつくのでは?と保護者も昨年同様に思ってしまうからなのかな?と思ったりして・・・学習室だと「誰でも使える便利な部屋」という昨年度のもう1つの学習室のイメージもあるし、生徒の「生活指導」にも使われるかもしれないし・・・昨年度と支援室の内容が大きく変わるので、名称の変化が必要だったんですね・・・。私は「この名称、いろいろと誤解されませんか?」と不安になったのですが・・・「自ら学ぶ学習室」という意味合いを表す言葉が無くて・・日本語はたくさん言葉があるように見えるけれど、こういう時の名称が見つからないんですよね。開校前には 生活支援型一時保育の場所と全く同じ名前の教室名だったので=それだけは やめて下さい・・・と教育委員会にお願いをしたことがありました・・・ネーミングって むずかしいんですよね・・・でも、同じ自治体の中では同じ名前は好ましくないと感じるのは私だけではないはず・・・教育委員会も学校もわかってくださったので、開校時には使わないことになって 本当にほっとしました。いまは体制が変化しているので、特別支援教室で ぶれないように まこちゃんと地道に学習を続けていきます。まこちゃんの学校は「生徒にとっての一番」をいつも一生懸命に考えてくれる学校です。苦しい現状でも、きっと 先生方も管理職の先生も 「まこちゃんにとっての一番」を考えてくださっていると思います。いろんなことはあるけれど、信じて 歩もうと思っています。今年で まこちゃんの義務教育が終わり卒業です・・・私も「特別支援教育」の義務教育の「部分」を卒業します。振り返ると とても短く感じますが・・・S区の教育長が「やりましょう!」と言ってくださり、教育委員会の先生と「特別支援教育」のお話をしてから早5年と先生と当時のことをふりかえっていました。区議会議員の先生方も熱心に話を聞いてくださり、S区の区長は選挙のマニュフェストに「特別支援教育」を入れてくださいました。今年度は、学習支援者を1億円以上の予算をつけてスタートしています。B区の 特別支援教育という名称すら決まっていないころからのことで、下地作りから考えると はるかに長い時間をこの改革にかけてきました。たくさんの大学の高名な教授の先生方のお力を頂きながら・・・特別支援教育を研究している各大学の全面的な協力を得て・・・B区の区長の全面協力と声明を頂き、B区議会の議員の皆様の全面的なご理解とご賛同を頂いてきました。T大学のK教授にであって・・発達センターは全国展開となりました。私は苦労しているように見えて とても恵まれているのだと振り返って感じています。全ての人が『子どもたちの未来のために〜日本の未来のために』力を与えてくださいました。たいへんだったけれど、まこちゃんが与えてくれた すごい時間でした・・・。今年は 私たちにとって激動の年です。一生懸命に 歩んで行こうと思っています。