さて、前エントリでは、生活保護制度のような「弱者であると認定された人にだけ支援を提供する」というスキームの場合、インセンティブ構造的にも労働者保護的な視点からも、もし働くとすれば、その労働に対してはいわゆる最低賃金以上の賃金が払われなければならず、労働者はフルタイムで働くことが求められ、さらに最低でも「一般的な新人アルバイト」程度以上の労働成果を上げることが求められてしまう、ということを指摘しました。「働けない(働かない)」という段階の次の「最低限働く」ことの内容が、いきなり新人アルバイト程度の成果を出してフルタイム働くというレベルになってしまう(その中間はインセンティブ構造的に無意味になる)というのは、働くことに困難のある方が少しでも働いて自立していこうとするという観点からは非常にハードルの高い「労働市場」であると言わざるを得ません。これに対して、このような「働き方のスタイルの硬直性」が、ベーシックインカム制度のもとでは大幅に変化し、柔軟な労働スタイルが許容されることになる可能性があります。まず、最低賃金という考え方が必要なのは、労働というのは労働者の時間拘束という要素を含むので、フルタイムで働いて生活保護水準が稼げないのような労働では生活ができない、破壊される、という理由によると考えられます。でも、ベーシックインカム制度のもとでは、そもそも出発点において「生活のための最低限の補償」は与えられているので、労働の単価が低くても、それ自体では労働者の生活が破壊されることはないということになります。また、フルタイムで働かないのであれば働くインセンティブが生じない(短時間労働だと支援される金額が削減されるだけで「働かない」場合と手取りが変わらない)という問題も、ベーシックインカム制度のもとでは生じなくなり、わずかな時間だけ働いたとしても、働いた分だけプラスの手取りが得られるため、短時間でも働くインセンティブは維持されます。つまり言い換えると、短い時間だけ働いて、それに見合った安い収入を得る生き方や、非常に簡単な作業を短い時間だけやるような「仕事」に、(今でいう最低賃金を下回る)安い給料でつく、といった働き方を規制する必要性が薄くなるのです。これは、一見悪いことのようにも見えます。でも、安定した最低限の生活が保障されている状態から、それを手放すことなく、少しずつ「働いて自立する」という状況を広げていける状況というのは、スモールステップで「自立」にチャレンジしていける、優れた環境だと私は思います。万が一失敗しても、いつでも少し戻ってやり直すこともできますし、最初は最低賃金以下の易しい仕事、やがてより時給の高い仕事にチャレンジしていくこともできます。そもそも、最低賃金制度を廃止したことによって「賃金の安い仕事」というのが誕生したとしても、その仕事はベーシックインカム制度下の競争原理にさらされますから、「そんな給料じゃやってられない」とみんなが思えば成り立ちません。ベーシックインカム制度のもとでは、仕事をやめても路頭には迷わないので、耐えられないような過酷な労働条件に耐えて働く必然性がなくなり、労働市場は流動化が進むと考えられますから、労働単価はむしろ上がると考える経済学者もいるようですね。ともあれ、ベーシックインカム制度のもとでは、いまよりもずっと「多様な働きかた」が存在する余地が増え、フルタイムでバリバリと働く以外の選択肢が増えることが期待されます。これは、障害当事者に限らず、いま「フルタイムで働くことは難しいが、働いて一定の自立を得たい」と考えるあらゆる人にとって福音となるのではないかと思います。そして、それがひいては、「みんながそれぞれ、可能な範囲で自立に向けて頑張っていて、しかもそれがそれぞれ報われる社会」の実現につながり、これまで触れてきたような「福祉から甘い汁を吸っている」といった誤解に基づく私的制裁、いじめを減らすことにもつながっていくのではないかと思います。