片付けをしていたら、のび太が幼稚園時代の連絡帳が出てきた。3年間で8冊・・・。おそらく他の子たちは3年間でも1,2冊だろうに・・・。ただでさえ忙しい保育時間の合間、ほとんど、その日のうちに連絡帳の親の心配事にお返事を書いてくださった先生方・・・。パラパラめくっては、当時の気持ちがよみがえってきてウルウルしてしまった。初めての参観日の時、のび太の泣いてパニクってばかりいる姿にわかってはいたけどショックだった私は、連絡帳に書いた。「いつもあんなふうに大騒ぎして、お手間をかけているのでしょうか?なかなか会話もままならないので、何がイヤなのか、理由もわかりませんし、家でも幼稚園の様子など尋ねたところで答えはありません。心配です・・・・」と言った内容の私の心配に対して、「のび太くんは確かに泣くことは多いです。でも、泣く、ということは、のび太くんの表現方法です。私たちは泣くことを、困ったこと、いけないこととは捉えていません。いっぱい泣いて、自分を表現できることは素晴らしいことです。幼稚園3年間でビックリするほど成長しますから安心してください。」まだ、診断される前の年少の頃のことだ。どこに行ってもパニくるのび太を抱えた私は白い目で見られた(気がしていた)。自分の親さえ、私の子育てを否定し、私をも否定していた。あちこち相談に行っても「心配しすぎ」で片付けられていたけど、この子は特別な子かもしれないことは、私は気づいていながらもどうすることも出来ないでいた頃。 認めてくれる人がいる、ということは、何よりも心強い。のび太を認めてくださったことは、親としての私も認めていただいたような気持ちになった。私と対して変わらない年齢の、どちらかと言えば中学校の数学の先生タイプのしゃきしゃきしたN先生。のび太たちが卒園して、入学した後も、小学校の授業参観のたびにのぞきに来ていた。(なにせ、のび太幼稚園(市立なので)とのび太小学校はお隣、 と言ってもいい場所にあるのだ)「のび太くん、すごいね〜頑張ってるね〜」と、耳打ちしていくN先生。すべてのことが、のび太と私の「今」に繋がってる。幼稚園の連絡帳は私の宝物である。のび太と私を支えてきたもののひとつと言ってもいい。ああ・・・また、連絡帳ネタ、記事にしちゃうかもなぁ〜