はじめの一歩

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Nice!

愛犬ロックの散歩で、初めてのび太も卒園した幼稚園の方へ行った。久しぶりにゆっくり眺める、のび太幼稚園。一クラス30人、1学年1クラスのこじんまりした園。でも、園庭で運動会が出来るほどの広い園庭。ここでのび太は育ててもらった。入学して気が付いた。のび太幼稚園の出身の子は学年の半分いるのだが、他の園から来た子と比べるとみんなおっとりゆったりしている。もちろん、子供らしく元気だけれど、大騒ぎする子も、大喧嘩するような子もいない。のび太幼稚園は自由で伸び伸びした園だった。卒園アルバムを作る係だった私は、時々、素の子供たちの姿を写真に収めようと、園に通った。私立幼稚園のように英語や体操やお勉強に力を入れているような特徴もなく(市立幼稚園なので)毎日、ほとんどを園庭で遊び、子供同士の喧嘩があっても、ちゃんと謝ること、許すことを教えられ、親同士もおっとりゆっくり関わり合っているせいか、変に子供のいざこざに介入する親もない。発表会の役やクラスの係を決めるときも、順番やじゃんけんなどはない。ちゃんと自分の意思を言わせ、お互いの気持ちを理解しあい、譲ったり、譲られたりして、「じゃあ、君がこれをやって。僕はこっちで頑張るから」などと、言える子供たちに成長していった。第一、年少の時、みんなと遊べずパニックの連続で泣いてばかりいて、職員室のカレンダーにかじりついていたのび太に、クラスの黒板に、○月○日と、毎日書かせてくれて、わざと、「先生はすぐ、日にちを忘れるんだよね〜」と言い、クラスのお友達に、「のび太くんって、数字も漢字も書くんだ!すごい!」という意識を植え付けてくださった先生。そのうち、折り紙、あやとりは大人以上に上達したのび太を、「折り紙先生」として、みんなでのび太の指導で?折り紙をしたこともあった。発表会などの時は、必ずのび太の隣には、しっかりした子を並ばせてくれた。我が家では「のび太シフト」と呼んでいたが、段取りを忘れてぼーっとしているのび太を、さりげなく誘導したり、お世話してくれるのだ。もちろん、のび太だけではない。ひとりひとりの良いところをみんなで誉めて認め合い、ひとりひとりの苦手なところをみんなで助け合って成長した。先生方の100%子供を愛してくれる気持ちと、ひとりひとりを認めてくださる広い心・・・。元々、のび太はパニックはあっても穏やかな子だった。叩かれても叩き返すことはない子だった。そして幼稚園生活が、さらにのび太を穏やかで温和な性格にしていった。同じ園出身ののび太の友達を見ても、このくらいの年齢で見られる荒っぽさもズル賢さもない。みんなのび太と同じように穏やかで温和な空気をかもし出す。のび太は今でも嫌いな人がいないらしい。イジワルされても「キライ」と言った事はない。愛されて育つ、というのは、こういうことなのだ、と思う。(ちなみに、旦那も「嫌いな人」はいないらしい)私が幼い頃は幼稚園の頃からすでに、「自分はひとりだ」「誰も助けてくれないんだ」と、悟った冷めた子供だった。キライな子はいっぱいいた。・・・というか、遊ぶ子はいても好きな友達はいなかった。遊んでいても友達の心の裏ばかりを探っていた。誰も信じられる人はいなかった。親以外の人たちからも無条件に愛されて認められて育ったのび太。親は自分本位の愛情?で私の心をがんじがらめにし、世の中は恐ろしいことしかないと、4歳で生きることの孤独感を知った私。きっと、同じ性質を持って生まれた(と思う)私とのび太は、環境の差で(愛情の差?)、これだけ違った性格を形成したのだ。幼稚園のホールではどうやら卒園式の練習らしい。懐かしい歌が聞こえてきた。そうそう。のび太も歌った・・・。この曲を思い出しただけでも、涙がこみ上げる。       ♪はじめの一歩   小さな鳥が 歌っているよ    ぼくらに朝が おとずれたよ、と   昨日と違う 朝日が昇る   川の流れも 輝いている   はじめの一歩   明日に一歩   今日から 何もかもが 新しい   はじめの一歩 明日に一歩   勇気を持って大きく 一歩 歩き出せ愛情あふれる幼稚園で育ったのび太。この、幼稚園がのび太の原点。のび太にとっては、この幼稚園が「はじめの一歩」だった。