〜私が「自閉症ののび太」と初めて向き合った出来事です。今まで書くのをためらっていましたが、真剣に「自閉症であるのび太」と生きていくことを決意したきっかけの出来事だと思うので、記録として残すことにしました。〜のび太がアスペルガーと診断されたばかりだったから、年中になったばかりの頃だと思う。ふたりでおやつタイム!しかし、ビスケット2枚とチョコ3個しかなかった。のび太は全部、自分のもの、と思い込んでいる。「のび太、お母さんおやつないよ。 ビスケット、一個、お母さんにちょうだい!」(大人げない・・・)「これ、のび太のおやつだよ」「だって、お母さんはおやつ何にもないよ。 チョコ3個もあるんだし、ビスケットひとつだけちょうだいね!」(大人げない・・・)・・・と、のび太の皿からビスケット1枚、取って食べた。(大人げない・・・)涙目でグズグズしだしたのび太。「のび太のビスケットがひとつになった・・・」・・・などと、恨みがましい表情で、ぐずるのび太。あまりにもしつこいので、「うるさ〜い!こんなビスケットいらない! もう、のび太と一緒におやつなんて食べない!」と、食べかけのビスケットをのび太のさらに投げつけた。(本当に大人げない・・・)そこで、のび太は、「やった〜!」と言って、おやつを食べ始めた。のび太はこの数ヶ月前にアスペルガーと診断されているのだ。おまけに幼稚園年中の幼子。かわいい一人息子。しかし、その反面、アスペルガーとはこういうものか、と、「人との心の交流ができにくい」とはこういうものか、と、初めて目の前に突きつけられたように感じた。大人げない母は、カ〜〜〜!っと頭に血が上った。「のび太はお母さんからムリヤリ ひとつしかないおやつを奪い取って、 自分だけおやつを食べて、いい気持ちなの?!」この問いに、「いい気持ち・・・」と、答えたのび太。冷静に、今、考えれば、オオム返しだったかもしれない。でも、本当にうれしくていい気持ちだったかもしれない。だとしても、のび太はアスペルガーと診断されたばかりの4歳の子供だ。「いい気持ち・・・」と答えても、仕方がないのだ。しかし再び、アスペルガーとはこういうものか、と、「人との心の交流ができにくい」とはこういうものか、と、さらに目の前に突きつけられたように感じた。そして、このときの私は鬼母だったのだ。思わず、手が出た。後にも先にも、のび太を叩いたのはこのときだけだが、診断されたばかりのダメ母の不安定な気持ちは、どうにも収まらなかった。いくらウダウダ説明しても、この時点ののび太には、何も理解できるはずないのに、私は自分の怒りと悲しみとやるせなさを、言葉にして怒りまくった。のび太におやつがなくて、お母さんだけ食べたら、どう思うのか、お友達にそんなことをしたら、嫌われること、お母さんはのび太がそんな子になって欲しくないこと・・・・・。頭の中では、この子に障害があるからこそ、自分が人との関わり方を教えなければ、のび太は一生、人の心もわからないまま育つかもしれない、本気で、のび太のことを思っているからこそ、本気で怒っているんだ、私は母親として、こういう事を教え続けていかなければいけないんだ・・・・・・と言うようなことを、グルグルグルグル、考えながら、号泣しながら、叫んでいた。のび太も、ただならぬ母の様子に号泣していた。そして、今にも気を失いそうなうつろな目で、震えていたのを覚えている。・・・ああ・・・もう、絶対に、のび太に手を上げたり、頭ごなしに叱りつけてはいけないんだ・・・。こういう叱り方を続けていたら、のび太はきっと、心が粉々にくだけてしまう・・・。「ごめんなさい〜!のび太! 痛くしてごめんね〜〜〜」号泣して抱きしめた。「ごめんなさい〜〜〜〜〜! 痛くしてごめんなさい〜〜〜!」オオム返しだったかもしれないけど、これでいいのだ。ずーっと、ムギューっと抱きしめてた。二人とも、泣きはらしてものすごく顔がむくんでいた。むくんだ顔で、ビスケットを半分にしてくれた、のび太。自閉症の心の難しさを改めて始めて知った出来事でした。そして、このときから、私は自分の中にある自閉的な部分にも気づき始めたのでした。・・・そのことについては、またの機会に・・・