「生きづらさ」を克服するために

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Nice!

昨日の記事にいただいたコメントにお返事を書いていてつくづく思ったことがあります。リサイクルやごみの分別にこだわるのび太は、こちらから見ていると、「どーしてそこまでこだわるの?疲れちゃうよ!」って思うのですが、本人にしてみれば、そういうこだわりをきちんとすることで、気持ちを安定させているんだろうな、ということ。コメントのお返事にも書きましたが、のび太は、「牛乳はレンジで○分温める」と学習しても、牛乳がお茶に変わると、どうしたらいいか分からなくなります。以前も記事にしましたが、初めてのお菓子の袋は開けられません。2年生のときに筆箱が壊れて、新しいものを買うときに、「同じ筆箱じゃないとイヤだ!」と、大騒ぎして、同じものを探してあちこちさまよったことがあります。新しく形も全く違うものは受け入れられないようです。このとき、なかなか同じものが見つからず、やっと探してGET!「のび太。お店のものってすぐ新しいものに変わるから すっかり同じものってなかななない、って分かったでしょ? 今回は同じものがあったけど、 次は同じものは買えないって覚えていてね」と、念を押しました。これが自閉症の「生きづらさ」なのでしょう。お菓子の袋が開けられなくてパニクっていても私はのび太がヘルプを出すまで黙っています。自分で「〜してほしい」「どうしたらいいか教えて」と、身近な人に言うことも学習しないとできないのび太。出来なくて「あ〜!もう!は〜は〜・・・」と、一生懸命、辛さをアピールするだけの時もあるけれど、家族は理解できても、社会では通用しません。幼稚園の頃から「できなくてどうしたらいいか分からないときは、 誰かにお願いしていいんだよ。 『あけてちょうだい』って言ってごらん」「あけてちょうだい!」「そうそう!そういえば、ちゃんと開けてあげるよ」この積み重ねで、かなりヘルプは出せるようになりました。しかし、今では逆にはじめから諦めが入っていて、初めてのお菓子の袋を見ただけで、一度も開けてみようとせず、「お母さん、あけてくださ〜い!」・・・・・。これでは誰かがいないと始めてのお菓子は食べられないって事です。〜路線変更〜「あのね、のび太、こういうときはまず、 ?「あけくち」って絶対にどこかに書いているから  そこを探してあけてみよう。 ?それでもあけられなかったら、道具を使ってみよう。  (例・ハサミ)  これで大抵のものはあけられるはず。 ?どうしてもできなかったら、誰かにお願いする。 これが3年生のやり方だと思うよ。」これでかなり自分で解決できるようになって来ました。ひとつのことが出来ても、そこから応用してほかの事を考える、ってことがなかなかできない自閉症。今はその「応用」を考えられるように、誘導中です。例えば、お茶をどれくらい温めたらいいか分からない。こういう時に、「今までレンジで温めたもの・・・ ご飯、パン、牛乳・・・ この中で一番、お茶に近いものは同じ飲み物の牛乳だ。 だから、牛乳と同じ1分、温めてみよう。」と言う風に考えられるように、誘導していくのです。時には、視覚優位ののび太に理解しやすいように、箇条書きや図に示したりして・・・。今は、いつでも私が家にいるから・・・教えるよりもやってしまった方が早いから・・・と、何でもかんでも手を出していたら、きっと、のび太は、「出来ないときはお母さんがやる」と思い込んでしまう。自分で「考える」ことが出来なくなってしまう。「生きづらさ」を抱えるこの子の将来のために、日々、こつこつと小さい当たり前のことを積み重ねていくしか道はないのだと思っています。もう、なるべく手は出さずに、口を出して文字で見せて・・・。「こつこつ」が苦手で短気な私でしたが、のび太のおかげで、じっくりゆっくり物事に向き合うことを教えられ、実践中です。