のび太はもう1年半、児童精神科の診察に行っていない。2年生の秋に精神的にどん底に落ちたのび太。KP先生の画一的な対応のせいで、それまでなかった自傷とも言える行動が出てきた。もう、本人に告知するしかないだろう・・・言葉の教室の先生が主治医の先生と相談してくださり、いざ、告知へ!と、のび太を連れて病院へ行ったのだが、そのときには、のび太は精神的などん底から這い上がって、ハイテンションで診察室へ・・・。これは、あえて今、告知の必要はないだろう、と言うことで、そのときはのび太の疑問に先生が答えてくれただけで告知はしなかった。「この病院はどこが悪い人が来るのか?」「どうしてボクはここに来るのか?」「今度はいつ来ればいいの?」(詳しく知りたい方は、こちら←をご覧くださいね。)「今度、いつ来ればいいの?」「じゃあ、冬休みにおいでね。 冬休み前に、のび太くんが心配事とかあったら、 いつでも来ていいんだよ。」で・・・いいのか?通院しなくて?幼稚園の頃ののび太は、主治医との約束の日を忘れずに覚えていた。当時はカレンダーサバンなのび太だったから、余計に約束の日にちにこだわっていたのかもしれない。しかし、1年半前の約束の通院に関しては、何も言わなくなった。だから、あえて、診察の予約も入れないまま、1年半、経ってしまった。のび太が病院の診察にこだわらなくなったのは、「成長のひとつ」と思っている。「どうしてこの病院に自分が通わなければいけないのか?」と、疑問に思って当然だ。でも、私たちには何も言わないのび太。それに、特別支援教育が本格的に今年度から始まっているはずだが、田舎ののび太地方の予算の少ないところでは、教育委員会的にも、何も変化はない。規模の大きい小学校には、通級の情緒クラスも新設されたようだが、通級希望者が多すぎて、のび太などには声もかからない。それどころか、その話をこちらから出しても、「のび太くんは、そこに通えないですよね? 本来の授業を抜けて通級に行くなんて、 無理ですよね?」と、はじめから「希望しないでくれオーラ」を出されて、話を持っていこうとする。のび太のように、普通クラスで何とか頑張っていて、そこでも目立った問題もなければ、と言うより、先生が指導に困っていなければいくら障害があって本人が困っていようとも、何一つ、公の支援など受けられない・・・。それが、特別支援の現状だ。せめて、担任が理解のある人なら、こんなに気をもまなくてもいいのかもしれない。それでも、のび太小学校は校長先生のご理解のある学校なので、困り感のある子に個々にあった対応をしようという気持ちはとても感じられるのだ。親の不安、子供の不安を理解しようとしてくださるし、それを取り除こうと配慮してくださってもいる。だから、あまり、しつこく「支援」「配慮」と、親は口に出来ないところもあるのだ。特別支援も療育関係も何もない。病院に行ったとしても、話を聞かれるだけで終わり、・・・の診察。「これから」の方が親に見えない部分で心配は尽きないのに、どうなっていくのだろう・・・。