まるでガリレオ気分・・・

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Nice!

宿題のプリントが珍しく理科だった。またしても親が丸付けか・・・。中央に棒が立っていて、その影の一日の動きを図にしたもの。右が西、中央が南、左が東。影は右斜め下、真下、左斜め下にあって、それぞれ、午前10時、正午、午後2時を選択する問題。その次の問題。「影の位置が移動するのは何故ですか?」の、問題にのび太の答えは、「太陽が東から西に移動するから」・・・?え?「のび太、太陽は動かないよ。 のび太だって、この前言ってたじゃない! 動いているのは地球で・・・」と、説明しかけたら、「違うよ!『太陽が移動する』の!! 地球は動いていないんだよ!!!」へ?「あ〜・・・まだ、地動説みたいなのは 習ってないのね?」「習っていないし、『地球が動いている』 っていうのは違うんだって。」「違ってないよ! 太陽が動いているんじゃなくて、 地球が動いている、ってのび太だって、 「ガリレオ」の伝記、読んだでしょ? それにずっと前から、本を読んで知ってたことじゃないの?」「でも、ボクが手を上げて 『地球が動いているから』って言ったら、先生が 『ちゃんと話を聞きなさい!違います!』って。」「いやいや、のび太の言ってることは 違っていないでしょ? だって・・・」「いいの! 『太陽が移動してる』でいいんだってば!!!」のび太の話は正直、よくわからないので、推測してみた・・・。おそらく、3年生の授業では「太陽が移動するから、影も時間とともに移動する」と、習うのだろう。で、おそらく、KP先生がそういう説明をした後に、「では、どうして影が動いてるのでしょう?」の質問に、おそらく先生の話を上の空で聞いていただろうのび太が独学で知った知識で、 「地球が動いているから 太陽が動いて見えて影が動く」  と、発言したものの、直前の先生の話を聞いていない、先生の説明とは違う、という意味で、KP「ちゃんと話を聞きなさい。違います!」と、言われたのだろう。でも、「否定的な言葉」に敏感で傷つきやすいのび太。「違います」は、「地球が動く」ことに対する「違います」に感じたふしもあるようだ。「のび太、あのね、のび太の発言したことは 正しいことなんだよ。間違いじゃないよ。 きっと、3年生では「地動説」はまだ、難しいんだよ。 だから分かりやすく、『太陽が動いている』って教わるんだよ。 でも、正しくは『太陽が動いているように見える』だよね。 先生も、たぶん、『先生の説明とは違います』って 言いたかったんじゃないかな?」「うん。3年生だけだよね?」「うん。たぶんね。」「あ〜よかった。 だって、『ガリレオ』の本に『それでも地球は回っている』 って書いてたのにさ〜。 ガリレオが間違っていたのかな?って 心配しちゃったよ。」のび太にとっては、学校の先生の言葉は、100%正しくて、守らなければいけない言葉だと思っている。いくら、親が先生の言葉を訂正したところで、絶対に先生が間違うはずなどないと思っているのだ。だから、ガリレオの伝記で「地動説」を知ったのび太が自慢げに「地球が動いている」と言ったのを「違います」と否定されたことは、かなりのショックだったらしい。「まるで、ガリレオみたいな気分になったでしょ?」「うん。ガリレオみたいに、 『地球が回ってる、って言うなんて死刑だ! って裁判にかけられたような気分だった・・・」「正しいことを堂々と言える事は 悪いことじゃないんだよ。 ちゃんと知っていることを発言したのび太は えらいと思うよ!」「でもさ、いつ地動説を習うんだろう? それまでウソの答えを書いている気持ちがするよ」まったくだ。「太陽が動いている」ではなくて、「太陽が動いているように見える」と教えて欲しいけどね。融通がきかないのね・・・学校って・・・。・・・っていうか、KP先生が・・・。