信頼?

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Nice!

見失った活動の意味を ずっと考えていた

どういう思いでこの活動を始めたのだっただろう・・・

私たちは活動の中で、
自閉症のわが子の居場所や働き場所・・という
形のある目に見えるものを何もつくらなかった

そういう目標を持たなかったのは
会員の居住地が広範囲で、
同じ生活圏内につくれないから・・という理由が一番だけれど

支援の方法や環境は一つではなく
学ぶべきは方法や環境の真似事ではなく考え方・・・
そう 「考え方」だと教わってきた
あんくが療育を受けている頃、ドクターや指導員の先生方、
療育先の先輩方や同期の親御さんから教わった
一番大きなことは そのことだった

こども達の進む道は一つではないと思った・・・
必要なのは、どこにいても、誰と居ても、実践できる支援の考え方
一つの方法ではなく、その子によって、その人によって
必要な支援は違う・・・
その子に応じた その人に応じた支援が必要だ 

働く場所や余暇活動の場所、暮らす場所・・・そういうものも 勿論必要だけれど
あんく達がこの先も支援を受けながら
あんく達の人としての尊厳が守られつつ暮らしていくためには
どんな立派な箱ものより、一人一人の意識、人が大切・・・

初めてあんくの主治医の先生にお会いした時

私たちの地域をよくご存じだった先生が
「日本のチベット」と形容されたのをよく覚えている
福祉の遅れた地域・・未開の地・・・というような意味で・・・

笑うしかなかった・・・・ーー; もっともだと思った

支援を一緒に考えられる場がほしいと思った

目指したのはそういう活動 

 一緒に勉強していきましょう

の先生の言葉の

勉強するのは誰だろう・・・
 
 勉強するのは自分自身

誰から学ぶか・・・

 先生から・・・?

先生だけではなかった
先輩からだけではなく
仲間からだけでもない
新しい方からも学べる・・
自閉症の方々に日々関わる多くの方だけでなく
時には一般の方からも

そして誰より あんく達自閉症の人たちに学べる場

 

きっと先生が私に残してくださった「勉強する」は
そういうことだったのだと思う

 何もないのなら
 パイオニアになればいい

そんなことができるとは思えなかった
今も支えられるばかりで
会の維持さえままならなくて 
心身共に疲れ切ってしまっている

それでも 賛同してくれる仲間を得て
理解者がいて
同じ地域に私財を投資して療育センターをつくって下さった
この地域のドクターもいて下さっている
地域全域にと多方面で指導を続け、
働きかけて下さる指導員の先生もいて下さる

一人の力で何ができるものでもないけれど

同じ方向を向いている方々が今はこの地域にも大勢居る
なかなかお会いすることはできないけれど
その実績を声高にアピールされることなく
淡々と・・・それぞれの立場で実践を積んでいる方々・・・
共感し、繋ぐことができるのは 同じ立場の親だけではない

 自分もそこで学んでいるのだという姿勢

指導する立場であっても
そこに意味を見いだしていらした療育先でご指導いただいた先生方・・・
今の地域の療育センターや ドクターも志は同じなのだ
学校教育も変わりつつある・・施設も徐々にではあるけれど変わってきた
成長していないのは 親ではないか・・と思う 

 お母さん、療育を学ぶことは 人間関係を学ぶことですよ

その頃 よく解らなかった言葉が
あんくと暮らすうち、
あんくに関わる方々に出会ううち、少しだけ解るようになった

活動に何を求めるかは人それぞれ・・・
それでも 活動はサークルではない・・・
ただの親の慰めの場にはしたくないと思ったから前身の活動から
新しく始めたはずだった

誰も信頼できなくなってしまった 活動・・・

 伝えなければ・・・
 変えなくては・・・

そう 思っていた頃を思い出した
それでも 一回は諦め 問題に気付きながらも放置してきてしまったから
今はその思いだけでは足りないことも解って 
話し合いの場を持ちたいと 
代表のKさんに申し出た後も 不安が続いた