Believe in Humanity

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Nice!

ここ数日間気になって仕方が無いニュースが、佐賀の知的障害者取り押さえ死亡事件。

事件が起こってから3ヶ月以上経っているのだが、被害者のご両親が県警を告訴したことにより、障害者に携わる僕らにはさらに目の離せないニュースとなった。

25歳の授産施設に通う自閉症者が、自転車に乗っての帰り道にパニックを起こし、警察に拘束され死亡という話なのだが、焦点となるのが警官が暴行を加えた可能性があるという事。

当初は事実を隠していた県警も、目撃者の情報により再検証を迫られることになる。

事実関係がはっきりとしないので結論づける段階ではないが、もし暴行を加えているのであれば、間違いなく警察の過失であり恐ろしい話である。

取り押さえの際、体を触られたことにより興奮した障害者から唾を吐きかけられたというから、警官が逆上し殴った可能性がある。さらに、彼らは障害者とは知らずアルコールか、薬物中毒患者だと思っていたとも述べている。自転車に乗れるくらいなのだから、確かに外見は普通に見えたに違いない。

実はこの部分がまさに僕が常日頃心配している事であり、成人してゆく息子を危惧する最大のハードルと重なっているのだ。

もし、この話がアメリカであったなら暴行の部分は無くなり即座に銃で撃たれてしまう結末だってありうる。実際に、持っていない拳銃を出すような動作だけで撃ち殺されてしまった(健常者)という事件も訴訟になっている。

しかし、この佐賀の事件に関しては、たとえそれが何らかの中毒患者であったにせよ5人がかりで取り押さえ、さらに暴行を加える必要は無かったと思われ、事実関係の究明、告訴も当然の事だろう。

普通に見える外見と障害を持った内側。明白に障害のわかる身体障害者とは違い、誤解される事の辛さは一生つきまとう。僕らは今まで何度説明しただろう、バスの乗客すべてに向かって、病院の待ち合い室で、公園の砂場で、そして警察官に。

授産施設施設で仕事が出来るようにまでなった息子さんを、ご両親はどんなに誇りに思っていたことか。

インターネットでこの事件に関しての意見を見ると、それぞれの立場や感覚でそれぞれの言い分があり、誰が悪いのかを見つける事に終始してしまう議論は読んでも暗い気持ちになるだけだ。

そんな中で行き着いた明るい情報は、障害者であることを知らせるバッジ。
こういった事件をきっかけに、全国、世界レベルで何らかの共通サインが使われるようになればという希望が見える。

リストバンドなど、障害者の証明のある人のみに配られるようにして、せめて警察官のみにでも認識できるようなシステムに出来ないものかと考える。サインは、差別や犯罪のターゲットにされるなど別の問題を生み出してしまう可能性もあるが、トラブルが起きた時の最終段階で頼れるのはやはり警察だろう。

その警察に誤解され、殺されてしまう可能性があるのでは、本当に行き場のない気持ちにさせられてしまう。

つづく

こちらはイギリスTreating Autismで販売しているバッジ