飲み会に行った。
上司を囲む職場の忘年会であるが、12月に入った新人の歓迎会であると共に、12月で辞める私の送別会も兼ねていた。
私は何かと理由をつけて飲み会を断る機会を窺っていたのだが、ついにチャンスを逃してしまった。
職場の飲み会というのは、美味しい料理と酒に熱中するくらいしか楽しみが見いだせないのだが、全く語らないというのは感じが悪いし、話を振られれば答えなければならない。
何かを聞かれた場合、私の答えによって場を白けさせてはいけないので、差し障りのないことを話すスキルが要求される。
「普段どんなブログ見ているの?」
という質問をされたのだけど、まさか正直に
「主に私と同じ障害を持つアスペルガー症候群の方のブログばかり見ています」
と言うわけにはいかない。
職場の飲み会の会話では、本音トークを避けるべきである。
それぞれの立場や利害が絡む場で「親睦を深める」という名目が掲げられる場合には、本音は親睦を深める邪魔にしかならない。
本音は人を傷つけ、時として自分の社会的立場を不利にするからである。
昔の私はそのことに気付かず、ずばずば本音を言ってしまっていた。
例えば私が職場をやめるからにはそれなりの理由があるが、職場に対する不満を洗いざらいぶちまけてしまったら、後に残された人は働きにくくなってしまうだろう。
もし私がアスペルガー症候群のブログばかり見ていると答えたら、私がアスペルガー症候群であることを、知る必要のない人にまで語らねばならなくなるかもしれない。
相手もリアクションに困るだろう。
求められている回答は、真実ではなく、空気を読んだ回答なのである。
他の人は
「料理などをネタに、主婦の日常を小説風味に綴ったブログ」
とか
「人気のある猫の飼い主のブログ」
などと答えているので、今度からはそういうものを見ようと思いつつ、
「アニメとかのマニアックなブログを見ていますので、細かくつっこまないで下さい」
と、適当なことを答えた。
ライトなオタクを装うことは、案外便利かもしれない。
オタクと思われれば、相手も深くつっこんでこない。
害のない変人を演出すれば、多少話題についていけなくても、人々は笑ってすますし、問題ないだろうと思う。
帰りがけに、花を頂いた。
さして手入れの必要がないオアシスアレンジメントだった。
贈った後のことまで考えているであろうあたり、行き届いているものだ。
今の私は、頂いた美しい花を見てただ喜んではいられなかった。
「忘年会で退職者に花を贈る」という行動の裏に隠された多くのスキルが私に欠けていることを今さらながらに思い知り、ため息をつきたくなるのだった。
飲み会を開くには、上司の意向を伺いつつ皆のスケジュールの調整をしたり、予算に合わせて居心地がよく美味しい店を提案したり、職場を辞める人に花を用意したりするスキルが必要である。
飲み会に参加したら、場に沿った会話を絶やさず、聞かれたことは上手にはぐらかすスキルが必要である。
定型発達者の言葉で表わせば、すべて「心遣い」というのだろうが、アスペルガー症候群の私からしたら、「スキル」という他ない。
私が頭で考えるだけで疲れてしまう気の利いた振る舞いを、きっと彼らは深く考えずに自然と行えるのだろう。
ともあれ無事退職できたことを、今は素直に感謝したいと思う。