インフルエンザワクチンは打たないで、なのだそうだ。

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Nice!

インフルエンザ・ワクチンは打たないで!
母里 啓子 / / 双葉社
ISBN : 4575299995

まだこの一派が生き延びていたのかと、まるで「バナナの皮で滑って転ぶ一発芸人」が正月のテレビで埋め草番組に出てきたような驚きをもって拝読した。いや、外来とかで親御さんにこの本について質問されたらどうしようと思って読んでみたんですがね。

確かに私も外来ではインフルエンザワクチンをそれほど熱心には推奨していない。ふだん慢性疾患やらリハビリやらで定期的に拝見している子には、定期受診のおりに接種したりはする。病院職員は全員接種するべきだと思う(むろん自分は毎年接種してますよ)。でも普段元気な子が臨時に受診したような一般外来では、とりたてて薦めることはしていない。打つなとまでは言わないが。だからインフルエンザに関しては、じつはあんまり見解の相違がなかったりするかもしれない。しかし返す刀でワクチン全般について腐してあり、とくに麻疹についていろいろ聞き捨てならないことを言ってるんで、本書について質問されたら、たぶん、そんな本は捨てろと言うと思う。

本書は伝統的な予防接種反対派の啓蒙書である。ワクチンの効果については理論的な穴が少しでもあれば全面的に効かないことにされ、副反応については逆に少しでも理屈の上で関連づけられそうならすべてワクチンの悪い点となる。ワクチンを普及させようとするのはそれで金儲けしようとたくらむ企業の連中か、危機管理の責任を逃れようとするお役人の連中かどっちかだということにされている。著者のような専門の「ウイルス学者」ではない、我々一般臨床に居る面々は、仕事に追われてそういうことも勉強していないから医者に聞いても仕方がない。云々。論立てが、飛来した宇宙人を米国政府が隠蔽していると主張する類の書物によく似ている。本書に関しては、いちど、と学会の山本弘先生にご検討を賜りたいと思う。

効果を信じるのにも副作用を否定するのにも、過ぎるほどに慎重であること。それは医薬品を評価するにあたって当然とするべき慎重な態度と言えるのかもしれない。しかしだ。昨今成人に麻疹が流行したのは麻疹のワクチンを打つようになったからだなどと茶化したあげく、
たしかに、はしかを防ぐには今やワクチンの追加接種が必要なのでしょう。残念ながら、ワクチンによってはしかを撲滅しようという世界の大きな流れの中では、もうしかたのないことのようです。けれど、たとえはしかにかかり、症状が重くなり肺炎になったとしても、今は抗生物質を始めとして、治療する手立ても整っているし、なにより、生活環境も栄養状態も、人々の体力も、昔とは比べ物になりません。この現代で、はしかがそれほど恐ろしい病気でしょうか。
などとうそぶかれると、医薬品を扱う態度以前にもうちょっと基本的な医療関係者の道徳ってものがあるだろうよと思う。たしかに二次感染の肺炎なら抗生物質も使えるかもしれんが、麻疹ウイルスそのものによる肺炎をどうやって抗生物質でなおすんだろう。治療する手立てったって、麻疹肺炎で人工呼吸管理なんていう患者の受け入れが可能な集中治療施設が日本に何床あると思って居るんだろう。いやいや麻疹はじゅうぶん恐ろしい病気ですよ。ウイルス学者の皆様にはどうか分らんけど、臨床の我々にとってはね。

まして、以下の下りに私は激怒したのだが。
欧米諸国では、国内ではすでにはしかはなくなり、国外から持ち込まれるはしかだけになっているといいます。日本ははしかを輸出しているとアメリカに非難されることがありますが、それほどワクチンを徹底しているアメリカで、はしかをちょっと持ち込まれただけで迷惑なほど流行してしまうというのも、変な話です。
この人には道徳とか人倫とかいう概念の一番基本的なところが決定的に欠けている。医学的知識や一般的な想像力はむろんのこと。日本から到着したての、英語もままならない日本人に「はしかだよ」とか言ってERにやってこられたら迷惑なのは当然じゃないかと思う。AIDSや悪性腫瘍の子だっているだろうし、そんな病気でなくても、母体由来の免疫が切れてからワクチンを接種するまでの空白期間にはどこの国の赤ちゃんだって罹患する危険はあるのだよ。それを「ちょっと持ち込まれただけで」ねえ。はあ。

本書の著者は知らないことなのかも知らないけれど(知ってて本書に記載してないんなら不誠実きわまりないことだし、そんな不道徳なことをする人が専門家を名乗るなんて厚かましいのも程があるってものだから、たぶん彼女は知らないんだろう)、麻疹は撲滅できるのである。麻疹ウイルスは亜型がない。ヒト以外の宿主がない。不顕性感染もない。云々。撲滅に必要な条件がそろっている。撲滅の過程で、野生に出回っている麻疹ウイルスが減り、接触の機会が少なくなると、1回のワクチンでは免疫記憶が限界以下に薄れる可能性も出るのは避けられない。2回接種が必要になる。だから昨今の成人麻疹の流行は、本邦における麻疹の撲滅がこれほど迅速に進むとは読めず2回接種の導入が遅れたための、いわば政策の不完全さの結果なのだと私は考えている。それを責めたてるつもりで言ってるわけじゃないが。

それに麻疹が撲滅できたら、著者がお嫌いなワクチンを打つ必要もなくなるのですよ。いまどき種痘を接種してる子どもがいますか?それは人類が天然痘と共存するようになったためですか?