アパートのあるイースト側からセントラルパークを横切り、噴水をこえるとドラムやギターの音が聞こえはじめてくる。ストロベリー・フィールドはウェスト側だが、夜の公園を横切ると以外に近く感じる。
闇の中に浮かび上がるろうそくの火がだんだんと近づいてきて、大ファンである次男も興奮しきり。ジョン・レノンの命日は毎年のように人々が集まり、皆1日中合唱をしているのだ。
ビートルズの曲の中でもジョンの曲に限っているようで、次から次へと飛び出すレパートリーには僕のようなにわかファンが知らないようなものも多いのだが、合唱の途切れることはない。
おまけに2つのバンドが至近距離で演奏しているので、バンド合戦状態になっている。交代にするなど互いに少しは遠慮しても良さそうなものだが、それぞれのバンドが合唱する人に囲まれることにより、輪の中はスタジオ状態になっているものと思われ、外から見た心配は熱気に包まれた内部では全く無縁のようだ。
輪の中に加わるスペースもなく、僕らは遠巻きにろうそくを掲げる。毎年増えてゆく人の多さにまるで70年代の映像を見ているかような錯覚に陥るほどなのだが、そのほとんどがジョンの没後に生まれた世代なのだった。
世代を超えた音楽を共有する素晴らしさを実感する。ビートルズはその代表格であるとともにインターナショナルなものでもあり、英語以外の言葉も多く聞かれた。
ただ、ジョンに関して特別なのは単に音楽へのノスタルジーにとどまらず、残されたメッセージが今を生きる若い世代へ強く働きかけている点だろう。イマジンで歌われたような壮大なテーマは少しも達成されることはなく、未だに同じことが繰り返されている状況を彼らはよく知っているのではないだろうか。
ひとしきり平和集会のような雰囲気を味わった後、ストロベリー・フィールドを後に静かな夜の公園へと歩き出すと、次男が「That feels like make me cry」と言う。「何故?」と訊くと、「あんなにたくさんの人がジョンのことが好きで集まるなんて、泣けてくる」と。
なるほど、そういう感動の仕方もあったなと思い「それは凄く良い考え方だね」と褒める。しかし、それは忘れかけていた皆で気持ちを1つにする感覚を思い出させてくれる一言であり、ジョンが望んでいたことそのものだった。
ろうそくを持つのを恐がり、地べたに座って大人しく成り行きを眺めていたベンは、誰ともぶつかる心配のない平和な夜の公園を自由に歩いていった。