きょうは、小学校まで迎えに行った帰りに、ダイソーに図工の材料を買いにいくことにしました。
途中、はぐれて、パニック、みーが「こっちだよ」を無視してパニック、疲れました。
遊び道具も三つ増えました。
図工は、はさみを使ったり、作品を考えたり、みーには無理があるので、イラストを描くだけにして、ほとんど二人で、作品の形をつくってしまいました。
みーちゃんも、新聞紙をまるめたり、ビニールテープをまいたり、それなりにやってました。
あさっては、心療クリニックの為に、担任の先生にお便り帳に学校の様子をたくさん書いていただきました。
スポーツは相変わらず好きなようです。一番に帰りの用意等が苦手と書いてありました。
数人のツーリングに行っていたパパは、帰ってきてみーと風呂に入って、ブチ切れている様子ですが、疲れから、そのまま布団に入って就眠となったみたいです。
きのうの行ったイルミネーションの綺麗な会社の中に託児所があって、夜7時過ぎにも関わらず赤々と電気がついていたので、みーのMi保育園時代のことを思い出しました。書きます。
みーちゃん、家庭環境があまりよくなかったので、引越し合計6回ほど繰り返しました。
5ヶ月に入った時に、保育園のお世話になりました。
田舎でのんびりと暮らしていましたが、その頃から、今思うと多動がありました。
離婚をきっかけに、仕事が多い都会に引越ししたみーとママ、Mi保育園では、ママが迎えに行くと、1時間以上園内で遊んで、それが、続き、途中から延長をかけるようになりました。
とにかく眠かった。朝、自転車でみーを送っていって、8時から、夕方5時まで働いて、5時半に延長をかけないで迎えにいくと、道具をもって教室を出ると、みーはママそっちのけで、園内の大きな滑り台でいつも遊んでいました。
働く為に保育園に入れていて、お母さん達とあまり話す方では、なかったので、帰ろうと言っても帰らないみーの行動は、とにかく大変でした。
Mi保育園に入って数ヵ月後、みーの登校しぶりをきっかけに、保健所に相談しました。発達検査グッツで調べてもらいましたが、発達に問題はないと言われ、「お母さんが恋しいので甘えているのでは」と言われました。
仕事は、いつも突然の欠席に、派遣先を解雇されてました。すぐに次の仕事を見つけましたが・・・
その時から、保健婦さんから数ヶ月の一回の割合で電話がかかってきてました。
一年以上がたって、年中に...