某お笑いタレントさんの書かれた自伝小説が
すごく売れている、というニュースを見た。
小さいころ、母親が亡くなり、父親とも生き別れて、
中学生にして公園での野宿生活経験などを書いているらしい。
雨をシャワー代わりにしていたので、
友人の家でお風呂に入れてもらったときに
お湯に感動したらしい。
「しあわせのハードルが低いと何にでも感動できる」
面白そう・・・
「しあわせのハードル」って、いい表現だな〜。
私たちは今、物質的には恵まれているから、
「しあわせのハードル」の設定が高すぎて、
感動することも少ない。
でも、そういえば、私って「感動のハードル」が低い。
元々、何でも感動して、すぐ じゅわ〜っと泣くタイプではある。
しかし、のび太が産まれてから、ますます、
じゅわ〜っとなることが多い。
だって、私に子供ができるなんて思っていなかったから
のび太の存在そのものが、もう「しあわせ」なのだ。
それも、のび太は他の子と同じように成長しなかったから、
何かができた!それだけで、感動してしまうのだ。
まず、ストローが使えなかった。
チューっと吸えない。
で、やっとできたとき、私は感動して泣いた。
ストローで飲んだだけで。
その後、コップも使えなかった。
口に持っていく手前ですでに傾けてこぼす。
口に持っていっても両脇からこぼす。
で、コップを使えたとき、感動して泣いた。
コップで飲んだだけで。
育児サークルの友達と毎日のように遊んでいたから、
余計にほかの子との差が目立つ。
サークルのママ友達もいい人ばかりで、
「すごい!のび太くん、コップできたね〜」
なんて言ってくれるもんだから、また、じゅわ〜っと泣く私。
まさに「感動のハードルの低さ」のなせる業・・・
その後も、どんどん他の子との成長の差がひらいて行く。
階段の上り下りができなかったのび太。
動物みたいに四つんばいで上り下りしてたのが、
やっと、やっと、1段ずつ足だけで上り下りができた時も
泣いた。
幼稚園にバスに乗って行っただけで、
落書き帳にカレンダーと数字と文字しか描かなかったのに、
初めて描いた人間の顔が「お母さん」だったときも、
私が「ヘリコプターだよ」と指差しても、
見ることさえなかったのに、
だんだん言葉が通じるようになって、
のび太から「お母さん、ヘリコプターだよ!」と
指差して言われたときも、
いつも予定変更にパニクってたのに、
文字で表したら、初めてパニクらないで変更できたときも
いつも、いつも、じゅわ〜っと泣いた私。
ホントに「感動としあわせのハードル」が低すぎだ!
きっと、普通のお子さんの子育てでは、
予定変更で子供がぐずらなかったくらいで感動しないだろう。
今、考えると、3,4歳ののび太を育てているとき、
こうしてのび太と会話ができることなんて
夢のまた夢だった。
そのことを考えただけでも、
うれしくてしあわせで、じゅわ〜っと泣いてしまう。
きっと、のび太に障害がなかったら、
「感動のハードル」も「しあわせのハードル」も
なかったかも知れないなあ。
何でもできることが当たり前で、やれないことに腹を立ててたかもしれない。
当たり前のことかもしれないけど、
頑張ってやっと、できたときの喜び。
当たり前、なんてことは、
本当はこの世にないのかもしれない。
すべてのことに感謝して、感動して生きていこう。
障害のある子はきっと、そんなことを私たちに教えるために
生まれてきてるのかも知れない。
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