アスペルガー、発達障害関連情報はカオス?!
支援迷子・情報迷子にならないために
我が子が、自分が、アスペルガーかも?と思ったら...今のご時世ならまずするのが「Webで情報をあさる」だろう。
これを読んでいるあなたもそうやってここにたどり着いた方かもしれない。
だが、アスペルガー症候群、発達障害といったものを調べるとまあ出てくる情報がカオスである。
「障害か個性か?」「周囲の理解を」「療育が必要」「治らない」...じゃあいったい何をどうしていいのか?といいたくなる多すぎてクラクラしそうだ。
そしてWebの発達障害関連の情報にもまれて、でもやはり気になるとなるとお世話になるのが各地域の発達障害者支援センター(発達障害者支援センター一覧はこちら(当ブログ別館))や、児童相談所(児童相談所一覧東日本版、児童相談所一覧西日本版)だろう。だが、これも実は結構地域によってクセがある。
というわけで、カオスに飲み込まれないために気をつけたほうがいいポイントというのををアスペルガー当事者目線でざっくりと書いてみた。
1.身体や感覚の問題は大きいと心得る
アスペルガーというと「空気を読めない」というのが取りざたされることが多いが、結構身体のモンダイは
身体と身体感覚のモンダイは結構大きい
アスペルガー児者は姿勢があまりよくないことが多い。猫背だったり前屈みだったり、歩くとつま先立ちだったりドラえもん歩きだったり、そして座っていてもぐにゃっとしてしまいがちだったりその逆でカチンコチンだったりとまあ、パターンはさまざまだがとにかく姿勢があまりよくない。
あっちこっちによけいな緊張があったりすればそりゃよく眠れないってことも多くなる。
その状態でまともに仕事なり学業なりしようとすれば他の人より疲れるのは当然だし、それは意欲や気持ちにも影響してくる。
そして身体感覚の問題もある。身体感覚がつかみにくく「コタツに入ると足がなくなる(ニキ・リンコさん)」などの状態では日々の生活動作あちこちに困難を生じる。他にも痛みを感じにくいだとか体温調節が苦手で汗をかけないなど、いろいろある。
こういった身体の問題を放っておいていいわけはないだろう。
知覚のモンダイも結構大きい
感覚過敏というと「ある種の音が苦手」とか「光に敏感でまぶしがる」というように書かれていることが多いが、これは「苦手」で済まされない問題だ。簡単にいってしまえば極端な「音疲れ」「視覚疲れ」が生じる場合が結構あるのだ。
極端な偏食なども味覚の問題であることが多いと思うしそれは他の感覚と連動する場合もある私自身音疲れ状態だと味覚がおかしくなる)。
身体や身体感覚・知覚の問題は本人にとってはそれがデフォルトだし人と比較するのが難しいため気がつきにくい。デジタル耳せんを試してはじめて音がしんどかったことに気がついたという人も実際にいる。
先ずはこのあたりの対策をしないと何の対策をしてもなかなか効果が上がらないといったことはあり得るだろう。
関連記事:デジタル耳せん(キングジム製)を買ったのでその感想 【聴覚過敏対策グッズ】
2.「周囲の理解」を過剰にあてにしない
あちこちの発達障害本には「周囲の理解が重要です」的なことがよく書いてあるが、これが実は結構クセモノだ。どこまで理解すべきか?どこまで許容すべきか?という問題が生じる。
結論から言えば「他人に損害を与えたり我慢を強いるような事への理解は得られない」という非常に常識的なラインで世の中動く。
特性だからと仕事の場で遅刻しまくれば信用を失うのは当然である。アスペルガーという障害名は免罪符ではない。
もう一つ
「周囲の理解が重要」を反転させて「周囲が理解すべき」ととらえてしまうと何かと不満の元になる。
いくら「周囲の理解が重要」と医者や支援者が言ったたところで、それができるのはせいぜい親や福祉関係者、教育関係者どまりだ(それで飯食ってるなら理解しておけよと言いたいが結構怪しい場合もあるのが現実)。
いちいち気にして「理解のある環境」を求めていたらいつまで経っても自立には近づけない。
社会に理解を広げるべき...と言って啓発活動にはしったところで必ずタイムラグは生じるので自分には跳ね返らない、そして理解したくない人は世の中には必ずいる。それをどうこう言っても始まらない。
とはいっても世の中けっこう捨てたものではない。誠意をもって交渉すれば理解を得られることも結構ある。
棚からぼたもちのように上から理解が降ってくるのを待っているよりは、自ら交渉して理解を得ていく力をつけたほうがオトクなのだ。
3.既にしてしまった誤学習はあると心得る
社会的知識はけっこうあやしい
アスペルガー症候群児者では人の視線がわかりにくかったり、自他の区分があいまいだったりするため、知的に問題がなくても社会的な知識を習得しにくいといったことがあります。
ごくごく簡単な人付き合いの基本を学習しそこねていたり(未学習)現実から乖離したした思い込みを持っている(これを誤学習という)ことがよくあります。
「場の全員が仲良くすべき」「お金儲けはよくないこと」「人にアドバイスを貰ったら必ずその通りにしなくてはいけない」...などがありがちな誤学習ですが、ものが「誤」であるのでバリエーションは限りがありません。算数のテストで考えてみれば簡単な話です、正解は1つでも誤答はいくらでもありますよね。
「無礼な態度をとる」「話が通じない」「変なところで怒りっぽい」などは、その陰に誤学習や未学習が隠れていることがよくあります。
誤学習の解除・修正がキーポイント
ある時点でアスペルガーであることに気づいたとして、気づいて以降は誤学習が少なくなるようにという対策はいろいろ立てられますが、人間には個々人それぞれに生きてきた歴史が必ずありますから未学習や「すでにしてしまった誤学習」はあると思っていたほうがいいでしょう。
幼稚園、小学校段階でしてしまった誤学習に気づかれないままで、後年影響してくることもよくあります。「お金を稼ぐことが怖くて就職が怖くなる」とか「アドバイスを受けたら負けと思っているため職場で人の助言に怒り出す」など、ちょっと困ったことは後から起こります。
こういった誤学習を解除・修正が本人が楽に過ごせるためのキーポイントであることはしばしばあります。
ただ、「すでにしてしまった誤学習」の発見、解除、修正にはそれなりの時間がかかりますので、焦らずにつぶしていくことが必要。
4.愚痴のこぼしあいからは多少距離をおく
誰にもいえない悩み...を共有する仲間がいれば心強い。それは確かだ。
だが、愚痴をこぼしてスッキリして気力が戻って...という効果がある反面、仲間を選ばないと「治らないからしかたない」を繰り返し脳みそすり込むだけになってしまうということもありうるのだ。
「しかたない」に埋没してしまえば建設的な取り組みがしにくくなるのは当然だろう。
成人においては「どうしようもない→社会が悪い」といった誤学習の上塗りで社会への恨みを募らせてしまう危険もある。これは避けた方が生きていきやすい。
親の会でも当事者会でも、愚痴のこぼし合いが多い場であるなら、多少距離をおいたほうがいいだろう。
5.医療も支援も選んだ方がいい
医療も支援も選んだほうがいい。アスペルガーなどの発達障害を診断できる医師が増えはしたが、二次障害に対する投薬以外のフォローまでできる医師はそう多くはない。
支援もまた似たり寄ったりだ。最近は支援機関の数こそ増えてきたがにわか支援者も多いし、「かわいそう」と過剰な保護に走りたがる支援者もまた結構多い。特定の療育方法を”ほとんど信奉”しちゃっている支援者もいる。
はじめ良いと思った支援が問題が解消されて合わなくなるということもある。それでも「まだまだ」と支援者が押しとどめることだってある(特に就労関係)。
だからこそ医療も支援も選ぶ必要があるし、選ぶためには冷静な目で観察することが必要だ。
もちろん医療や支援を選ぶにあたっては、「できるだけ自立方向に向かうようなもの」という選択もあるし「かわいそうだから周囲に理解をごり押ししても努力はさせたくない」という選択もある。お子さんの場合そのあたりは親御さんの選択が重要だ(あまり後者はおすすめしないが)。
選ぶためのヒントはこちら(長いけど)↓発達障害児への支援と療育を「機能-行動モデル」で考えてみる
ついでに言うなら支援や医療で多少ハズレをひいたとしても嘆くほどのことではないのだ。次項はそこらへんについて。
6.自分でor親御さんができることは結構たくさんある
成人のアスペルガー者で起こる困りごとの大半は二次障害を除けば「身体と知覚の問題(体力含め)」「社会的知識の問題(誤学習含め)」「生活スキルの問題」「不注意や衝動性の問題」が大半だ。
「不注意や衝動性の問題」を除けば、身体作りをし、社会的学習を経験を増やし、生活スキルを上げるといったことで対策できるではないか?!
そして身体作り、さまざまな経験とその適切な理解、生活スキルの獲得というのは特別な療育、教育施設でなくても可能なことである。
料理のお手伝いだって立派な療育だしリハビリだ。各種のボディワークは身体作りにかなり役立つ。最近は過敏対策に便利なツールも結構多い。
いい支援に恵まれないと嘆く前に手近なできることをやってみた方がいい。
下の本は最近出た本だが、そういった手近な工夫と、それを生み出す考え方のヒントが盛りだくさんの本である。著者のこよりさんは、自閉っ子のお子さん2人を自らも病気がありかつ介護等で多忙な生活の中で育て上げた方である。療育資源に恵まれない中、観察と工夫で乗り切って来たこの記録はこれからお子さんの障害に向き合おうとする方に勇気を与えてくれるだろう。
7.「自立して幸せに人生をおくるために」という前提をくずさない
特に就労や進学の場面で「やはり支援をうけられる場でないと...」ということを言われる場合もあるかもしれません。
具体的には障害者就労をすすめられたり、支援級や特別支援学校への進学をすすめられたりという場合です。
それ自体は問題があるわけではありません。状態によってはその必要がある場合もあります。
現在できないことと将来できないことは別
ただ、「アスペルガーだから、発達障害だから○○がダメだからこれでよしとしておかないと」という思考をもってしまうとさまざまなことにトライすることが難しくなってしまいます。
つまり以降の人生が「消化試合」になってしまいます。
これでは人生つまらなくなってしまいますし、努力しようという気持ちもおきにくくなって当然です。
ですから、医療や支援で「自分にとって消極的過ぎるおすすめ」をされても真に受けすぎないことが肝要です。
もちろんそのとき休養が必要であれば休養すべきでしょう、さまざまな支援を必要とする時期ありますのでそういうときは利用したほうがいい場合もあります。
ただ、うける支援が支援という名の過剰な保護になっていないか?という目を常にもっておく必要があるということです。
すべての支援も療育も
自立して幸せに人生をおくるために
利用するものだということを頭の片隅に必ずおいておいて欲しい。
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