【書籍】治ってますか?発達障害/南雲明彦・浅見淳子著

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Nice!

今日は「治ってますか?発達障害」という本を紹介
ずいぶん思い切ったタイトルである、いや、もうちょっとはっきりいってしまおう。
挑発的ですらある(「相変わらず」をつけるべきかもだが)
だが、この本は発達障害当事者に、そして発達障害児者に関わるすべての人に目を背けてはいけない様々な問題を突きつける本だと思う。
 

 
著者のお一人である南雲明彦氏は発達障害の一種であるディスレクシア(読字障害)の当事者で、次世代のために講演等さまざまな活動されている方。もうお一人は「自閉っ子シリーズ」を出している花風社の浅見淳子氏。
そして途中ちょっとだけ「自閉っ子の心身をラクにしよう!」の著者である栗本啓司氏が登場する。

 

 
版元である花風社は発達障害に関する本を多く出している出版社だが、かなり挑戦的な内容のものも多いし、目から鱗的な本も多い。
 

治ってますか?という問いかけから
正直なところ、タイトルだけで「え~?」と避けてしまう人もいるかもしれない。
まあ、医者も支援者も「治らないので周囲の理解で生きやすくしていきましょう」ってなことを言う人が結構多いので「発達障害は治らない」を信奉する人が出てくるのは必然ではある。

だが、昔不治だといわれた疾患や障害でも、治るものは数多く出てきているし、治らないまでもかなりの機能改善が可能なもの増えてきている。「発達障害は治らない」を前提とする支援が主流という現状は私は違和感を感じる。
 
そしてよくきく「ありのままでいいよ」、「周囲の理解を」というセリフが決して発達障害児者をラクにしないという現実。さらにラクに暮らせる方法、ツールをかたくなに拒んでしまう当事者の存在。
この本はそういった発達障害児者界隈や支援業界にあるさまざまな矛盾を、まあ見事にバッサリと斬ってくれている。
 
「うんうん、治さなきゃいけない部分はあるんだよ」</p>
「そうそう、生きづらさなんていらないわあ!」
「ホント、いらん支援や大きなお世話がはびこってるよな~」
 
と、頷きながら一気に読んだ。
そして読了後、私の脳みそからポンと出てきたのは「痛快!」という単語だった。
まあ、私が痛快と感じるということは、ある一群の人たちに辛辣なのであるから、かなりグサッとくる人もいるかもしれない。反感を持つ人もいると思う。
 
戦いつづけてきた人のもつ説得力
著者のお一人の南雲氏はディスレクシア(学習障害の一種、主に読み書きがしにくいといったもの)の当事者である。

読み書きの問題をきっかけに二次障害や引きこもりも経験したという(このあたりはLDは僕のID ―字が読めないことで見えてくる風景にも詳しい)。

だが、南雲氏はディスレクシアだが現在は本も読めば文章も書く方である。
もちろんはじめから易々と読めたり書けたりしたわけではない。努力を重ねて読めるようにしたのであり書けるようにしたのである。

そしてこの本の中で南雲氏はかなり辛辣に「ありのまま主義」を批判する。
もがいてきた人だからこそ、南雲氏の「ありのままではいけない」という言葉には重みがある。
(おまけだが、南雲氏のツイッター発言はなかなか本質をつく発言が多くて楽しい。氏のツイッターアカウントは @nagumo11
 
「土台づくりが大事」と語る南雲氏がどう障害と向き合ってきたか、どうやって自己肯定感を自ら育んできたのか?どうやってできることを増やしてきたのか?それを読むだけでもこの本はかなりの価値があると思う。
 
「私は(うちの子は)ディスレクシアではないから関係ない」と思われるかもしれないが、障害とどう向き合うか?そして支援機関、支援者とどうつきあっていくのか?どうすればできることを増やし、自己肯定感が上げられるのか?これは自閉症スペクトラムもAD・HDも共通の部分だろう。
 
発達障害のある人生をどう生きるか?
「治ってますか?」というかなり挑発的な言葉には
「さあ、どうする?障害だからと(自分の、子の)人生あきらめる?それとも人生切り開く?」という、目を背けてはいけない問題を突きつけるような気迫を感じる。

悩んでいる人も多いと思う。

しかしビビる必要はないので安心して欲しい。
 
とりあえずどこから?という場合のヒントになることも栗本氏の登場する章を中心にちりばめられている。
身体とのつきあい方、各種ツールの取り入れ方などなど...。
なかなかがんばれない人へのアドバイスまであるところなど、けっこう親切である。
 
 
発達障害界隈にある不思議な「治す」アレルギー
発達障害関連で「治る」や「治す」って用語を出すと「治るというのはけしからん」とか「治る治らないというより個性としてとらえたほうが...」「結局軽いか重いかでしょ」って方面に話がすべりやすい。
「治るか」を問題にしてはいけないような風潮すら感じる。
 
それってちょっと異常な状況ではないかと私は思うのだ。他の難治性疾患で、「治る」「治す」という用語をつかうと批判がとんでくるなんていうのは私は聞いたことがない。せいぜいのところ「胡散臭くない?」程度だ(そして胡散臭いかどうかは年月がたてば自ずとわかる)し、個人レベルで治ったという話をきいても「よかったねえ」or「いいなあ」で終了だ。
 
「治る」「治す」といった用語への過剰とも思える反発はどこから来るのだろう?
 
そして発達障害の症状が変化する人はけっこう多い。私にしても子どものころあって今はない症状もある。ならば症状の何と何がどこまで治りやすいのか?何と何が変化しにくいのか?を検討する必要はあるだろう。
 
そして今の発達障害の定義にある症状は本当に一次障害なのか?特にASDではコミュニケーションとか社会性なんてのが診断定義に含まれるあたり、実はかなり怪しいと思う。
「治す」「治る」という用語への反発が阻害している議論も多いと思うし、本来可能な努力を放棄する言い訳になってしまっていることもあると思う。
 
この本は、そういった風潮に対しても真っ向から勝負を挑んでいる本でもあると思う。
そして、発達障害児の子育て、発達障害児者の支援において真に大事にすべきことはいったい何なのかを読者に問いかけてくる本でもある。

「周りに理解してもらいましょう」「がんばらせてはいけません」だけの支援に疑問を感じている方には特におすすめの本だろう。
 
 

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