アスペルガーな狸穴猫は生きづらさをろくすっぽ感じていないという現実「生きづらさ」という文言、それはあちらこちらの発達障害関連のイベントのパンフで見かけるし、あちらこちらのSNSなどで発達障害当事者が話題にすることも多い。それに疑問を抱く人は少ないだろう。まあ、二次障害なりなんなりでしんどい思いを現在しているという人はいるだろうから、それを称して「生きづらさ」と表現しているのだろうと理解していた。確かにPTSDが酷かった頃、すなわち疑似的な二次障害状態だった頃は私もかなりしんどかった。毎日鬱々としていたこともあったし、気力も不足していた。おまけにパニックを起こすことも結構あった。あの状態が生きやすいかと問われれば当然否という結論に達する。となれば生きづらいというのもまんざらわからない話ではない。だが、どうもそれだけではなさそうだと言うことに1年ほど前に気が付いて実は私は頭を抱えた。どうやら二次障害抜きにしても「生きづらさ」はあるらしい。啓発に熱心な人達はそれを「特性ゆえの生きづらさ」だという。人づきあいが苦手だとかは、多少は気持ちががわからないでもない。私も得意かと言われればかなり疑問だったりする。(気にしてないけど)が、わからなくなってくるのは「社会が受け入れてくれない」…という系統のものである。全くわからない。今日はそこのところをちょっと考えてみる。森口奈緒美さんの「変光星」との出会い唐突だが一冊の本を紹介しよう。「変光星」は日本での成人の自閉症者本人が語る本のはしりというべき本で、だいぶ前に発行されたものだ。一旦絶版になり、最近になり別の出版社から復刊された。↓復刊されたもの変光星──ある自閉症者の少女期の回想森口 奈緒美 遠見書房 2014-07-01 売り上げランキング : 96038 by ヨメレバ by ヨメレバ