ツヨの中学校進学について、教育委員会の個別相談に行ってきました。今、通っている自閉症専門の特別支援学校は小学部で終わりなのです。車で高速に乗って一時間ほどのところにたまたまあったので(本当にたまたま)頑張って6年間通うことにしたのでした。6年前の小学校の就学相談のとき、地元の市立の特別支援学校と今通う学校のどちらにするか、相談をしたのも同じ相談センターでした。その記事を読み返してみて、はー。そうだったのか。と思い出しました。ツヨの持つ障害の困難さから、小学校の時期に少し無理をしてでも将来に向けてがんばったほうがいいのでは、という私の考えに、相談員の先生に同感だと言われたと。今思うと、その頃のツヨは、まったく言うことをきかず、周りの私たちも人生ごと巻き込まれて、この先どうなるんだろうと困り果てていました。就学相談でも建物の中で興奮が炸裂して、エレベーターの中で就学相談をして、発達検査は一度も立ち止れず「測定不能」でした。それは「多動」ではなくて、「こだわりからくる行動」でした。相談員の先生に(確か元養護学校の校長先生だったような)「カードを使った自立ができるようになること。そして、独特のひどく強いこだわりを周りの人となんとか妥協していく道をさがしていくこと。この二つを目標にしたほうがいいですね」とアドバイスされました。言葉のない子がカードを使うことの有効性は誰だって分かります。大事なことは、それを手段として獲得した上で、「人の指示に従うこと」を学ぶこと。それが重要だったのです。その二つをこの上なく実践してくれる学校で5年間みっちり学びました。やっと少し地元の支援学校のお友達に近づけたかもしれません。18歳になっていよいよツヨなりの社会に出るまでのこれから先6年間、地元の中学部・高等部で楽しい学校生活を送ってほしいと願っています。そして基本的には、ツヨは何も変わっていないことも分かりました。変わるはずがないのです。障害なのですから。独特の強いこだわりも、言葉がないことも、本当は人の言うことなんて、これっぽっちも聞くつもりのない強い自閉も。従順さ、って何だろう。ツヨには従順さはどれぐらいあるのかな。指示が出たら、従う、ということすらこだわりで行動としてやっているだけなのでは?そもそも自閉の強い子たちに従順さってあるのかな。いや、ある。以前、東田直樹くんの講演会で、彼の行動と、パソコンでの言葉がまったく同一人物と思えないことがあったっけ。こんなことしたら、お母さんに怒られるだろうな、なんて冗談まじりで筆談するのに、実際の行動は体が止まらなくて、筆談が止まることもしばしば。心で感じることをこだわりが邪魔をする・・ツヨには、やっぱり、指示をはっきりきっぱりと出してあげることも、本人のためになっているのでは。カードやスケジュールがないと混沌としてしまうからダメ、と言われるのはすべきことが分からなくて不安という意味以外に、自分がどう行動することが自分にとっても他人にとっても望ましいのか、判断ができないから。それがきっと6年前に言われた、「独特のひどく強いこだわりを周りの人となんとか妥協していく道をさがしていくこと。」なのではないかと思うのです。先日の中学進学の就学相談。(やっとここに戻れた)ツヨは相談員の先生と、静かに発達検査の部屋に移動し、心理士の先生に「すごくお利口でした!」と絶賛されるほど、全力できちんと検査を受けることができました。エレベーターも乗りませんでした。入ってすぐあるエレベーター。ツヨは6年前のことを覚えていました。『これは乗ったらいけないんだよね。これぼく前に来た時はいっぱい乗っちゃった。ダメだと分かっていたんだけど、みんなの声は聞こえていたんだけれど、怖かったからここに逃げ込んじゃったんだ。』そう言いたげに、ツヨは私の目を見て静かにエレベーターを指差していました。言葉はないけれど、やっぱり何でも分かっている。何でもお見通しなのではないか。こちらのお粗末な対応やおろおろした反応を見て、試している部分もあるのではないか。そんな風に感じずにいられません。頼もしいぐらいだな。もっと信じてあげないと、いい部分を引き出してあげないとということかしら。6年前の就学相談、よかったら読んでやってください。就学相談就学相談で大暴れ検査として伸びない部分は伸びないとして、この場の状況を察して、望まれる行動をしっかりとれたことがえらいなぁ。検査後も結果をまとめるのを待つ間20分、説明に30分。きっちり着席できました。あの検査官の先生に見てもらいたかった。やりましたよ~~って。座って検査を全力でやって、期待に応えようとする子になりましたよ~^^ってね。ああ、朝になってしまう。寝ないと~応援ありがとうです~