こちらのシリーズ記事では、後半部として、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。前回は、「Aをする・しない」というコミュニケーションと一見近いように見える「AとBのなかから選ぶ」というコミュニケーションが、実際にはかなり異なるものであるという話題をとりあげました。その「違い」のポイントの1つとして、「選ぶ」というコミュニケーションのシステムは、リアルの世界に存在するものとして語ることができるけれども、「しない」については、どうしても一部にバーチャルな世界、記号としてのことばの意味を理解しないと乗り越えられない壁がある、という話をしました。今回は、その続きになります。「選ぶ」と「しない」のさまざまな違い。そのなかで、前回のポイントとは異なるもう1つの大きな「違い」として、選ぶ、ということには特別な動作が必要ない。ということがあげられます。「Aをしない」が、「Aをする」の発展形であるのとどうように、「AとBのなかから選ぶ」は、「Aを選ぶ(する)」の発展形です。「A」を単独で提示されて、その「A」を選ぶ場合、絵カードであればその絵カードを受け取ればいいし、音声言語であれば、たとえば「A」をおうむ返しして、そしてそのAを手に入れる、あるいはAという行動を起こせば、それでコミュニケーションは成立です。ここで、このコミュニケーションを発展させて、「AとBのなかから選ぶ」とした場合で、AとBのなかから「A」を選ぶ場合はどうでしょう。絵カードであれば「A」の絵カードを受け取ればいいし、音声言語であれば「A」と返事をして、そしてそのAを手に入れる、あるいはAという行動を起こせば、それでコミュニケーションは成立です。おわかりでしょうか?AだけでなくBという選択肢が増えたにもかかわらず、実は「Aを選ぶ」ために、特別な動作は何も増えていません。乱暴な言い方をすれば、やっていることはまったく同じ、何も変える必要がありません。つまり、最初にいったとおり、「選ぶ、ということには特別な動作が必要ない」ということなのです。一方、「Aをしない」はどうでしょう。「A」を提示されたときに、そのAを受け取らない、音声言語であれば「(Aを)しない(いらない)」と返事をして、そのAを(提示されているにもかかわらず)受け取らない、行動をとらない、という反応が必要です。先ほどと比較すればすぐに分かるとおり、「Aをしない」というコミュニケーションを成立させるには、「Aをする」とは異なる動作が必要です。「しない」は、(前回触れたように)ことばとしての「理解」の構造もまったく異なるうえに、そのコミュニケーションを表現するための動作も、まったく新しいものを学習しなければならないわけです。改めて「選ぶ」のほうを考えてみます。より平たく言えば、「Aが欲しい」と思ってAに手を出す、という行為は、その場にAしかないときはAを要求するコミュニケーションになり、AとBの2つ(あるいはCも含んだ3つ…)があるときには「いくつかの選択肢の中からAを選ぶ」というコミュニケーションに(自動的に)なる、ということです。しかも、それは単に「動作が同じで済む」というだけではありません。AとBが視界に入っていて、「Aを選ぶ」という(Aだけのときと同じ)反応をした場合、結果としてはBは引っ込められて手に入らない、という経験をします。そうすると、単に「やみくもにAを選んだ」だけであったとしても、結果として「AとBとを選ぶ」ことが学習できてしまうのです。この点については次回以降も少し掘り下げたいと思います。(次回に続きます。)