[自閉症児と旅行][シリコンバレーでの私たちの暮らし]さて銀の発掘の街Calico(キャリコ)へ

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Nice!
ラスベガスの2時間くらい手前にある銀の発掘の街、Calico(キャリコ)へ行ってきました。カリフォルニアといえば、1849年(49’s)の金の発掘で非常に有名です。移民でやってきた大人が英語を取得するESLのクラスでも必ず教材として取りげられるほど。小学校では必ず習います。金の発掘でカリフォルニアは、非常に栄えたところです。ジーンズで有名なリーバイズは、この金発掘の時期に船の帆をジーパンにして、49’sに販売して儲けた一人です。
このブームで儲けた人は金を発掘した人よりも金の発掘に来た人を目当てに商売をした人たちという話もあります。
特別支援クラスにいた渡でも金の発掘の話は授業でやり、私達も何度も金の発掘の場所に行きました。いまだに川辺には、金粉が見えて子供たちが金をとって遊んでいたりします。
ところが、銀というとあまり話を聞きません。49’sの一攫千金の夢が破れ、その話が昔話として語られたであろう1881年にこのキャリコという街は生まれました。ここから銀が出るということが解り、1500人以上の人がこの街に住み、炭坑を堀り一攫千金を夢見たのでした。街には学校や教会、賭場や酒場なども作られて、栄えた時期もあったのですが、銀の相場はどんどん下がり、銀は金のように川をすくってでてくるのではなく、山を爆破したり、加工にもコストがかかるため、1907年にこの街はゴーストタウンになってしまいました。
ところがジャムや遊園地で有名なナッツさんが、この街を買い取り市に寄付した事から、街が復元されて、いまでは観光地になりました。
カリフォルニアに住まれる方は、こういうところも子供さんに見せたりするといいかも。
さて我が家の渡ですが、金の発掘の件はさんざん学んだので知っていますが、今までは余り興味がありませんでした。ところが、大学で数学が上手くいってからというもの、こういう歴史などもに興味を示し始めました。ひとつが上手く行き始めると、他のものにも影響してくるようです。
金の発掘などはもう見たので、今後は銀。
キャリコは、おそろしく田舎です。バーストーという街から、10マイルほどいくと、砂漠がひろがっていきますが、そこから、高速をおり、砂漠の中を5マイルほどどんどん北上するとこのキャリコの街が見えてきます。郡が所有する観光地なので、入り口があり、話をすると、
「あなた達、日本人?」と聞かれて、私がそうです。と言うと、なんと手書きの日本のチラシをくだいました。
すごく綺麗に描かれている。
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どうもちょっとお年をめした方が絵も全て手書きで描かれた模様。たぶん、ボランティアで描かれたのだと思う。すごいなー。先に移住してる日本人の人って本当にすごい。こうやってアメリカに貢献してくれているので、私達は、アメリカ人からも受け入れてもらえるのだろうなぁ。
さて、街に到着すると香穂が一つ一つ丁寧に渡に説明してくれました。
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私の説明だと余きかないのだけど、お姉ちゃんの説明はまともに聞きます。銀の発掘方法から、溶接方法まで。じっと聞いておりました。
白くなっているところは銀があるところだそうです。
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炭坑道のツアーもあるのですが、いつもだったらなんの興味もない渡はが、
「入りたい」
というので、ツアーに参加。珍しい。大人になったということだねぇ。
一人2ドルという値段を聞いただけでもだいたいわかりますが、非常に短いツアーでした。
そこでも真剣にみていました。
昔の爆発後の再現には渡も
“Oh No!!”
などといいながら、真剣にみていました。
本当にこの街はボランティアの人たちが街を守ろうと一生懸命なのがわかります。それくらい綺麗にしておられました。
お店も再現されていて、渡は革製品のお店で、ベルトをみたりしてましたが、一番気にいったのは、カーボーイハット。けど、これをシリコンバレーでかぶる事はできないので、却下。渡がかぶるとここんなかんじになります。
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勉強になったねぇ…。家にもどったらレポートを書くと行っておりました。
さて、キャリコの街を見たら、ラスベガスへ。
ラスべガスでは、渡が一番の楽しみにしていた世界の食べ物が食べれるというワールドカーニバルバフェという食べ放題のレストランで食べまくり。なぜか、和食を取りまくる私。お友達からの祇園の「原了郭」の黒七味持参です。これだとうどんが美味しくいただける。
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こんな感じで旅行2日目が終了。みんなよく寝てねー。