このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察していますが、今回はちょっと脱線した番外編的な話です。前々回の記事で、「しない」を強化することが大事だ、という話を書いたのですが、これを書いていて、少し思い当たることがあって、ちょっと考え込んでいました。それは「死人テスト」と呼ばれるものと、「しない」ということについてです。ここで言う「死人テスト」というのは、ABAのもととなっている行動分析学という心理学で使われる、ある事象が行動分析学でいうところの行動に該当するかどうかを判定するためのテストです。端的には「死人にはできないことが(ABAなどでいうところの)行動であり、死人でもできることは行動ではない」というのが、死人テストが言っていることになります。なぜABAにおいて「死人テスト」が重要かというと、死人テストに合格しない(行動ではない)事象は、オペラント条件付けで学習させることができない、つまりABAでトレーニングすることができない事象ということになるからです。そして、「しない」についてです。何かを「しない」ということ、それ自体は、いわゆる「死人テスト」に合格しません。「おまいりする」→死人にはできないので合格。「おまいり『しない』」→死人にもできるので不合格。「トイレにいく」→死人にはできないので合格。「トイレに『いかない』」→死人にもできるので不合格。ですから、何かを「しない」ということ、それ自体はABA的にいえば「行動ではない」、だから「ABAでは教えることができない」ことになります。おかしいですね。じゃあ、「しない」というトレーニングはABAではできないのでしょうか?もちろん、結論からいえば、そんなことはありません。実際には、「しない」というトレーニングは、下記のように定義されるので、「死人テスト」に合格します。「おまいりする」→死人にはできないので合格。「おまいり『しない』と言う」→死人にはできないので合格。「トイレにいく」→死人にはできないので合格。「トイレに『いかない(しない)』と言う」→死人にはできないので合格。おまいりするとかトイレにいくとか、実際に「行動する」ことについては、必ずしもことばを介しなくても、それ自体が「行動」なので教えることができます。一方、ある行動を「しない」ということについては、しないことそれ自体は行動ではありませんが、しないと「言う」ことは行動(言語行動)になりますので、ABAで教えることができるわけです。ここでも、「する」と「しない」は単純な対関係ではなく、「しない」のほうが、言語を介することが必須の、はるかに高度なコミュニケーションの行動であることが示されていると思います。※さらに言うと、「しない」と発話する行動が、何によって強化されているのかというのは、実はとても難しい問題ですね。 私は「阻止の随伴性」が働いているんだと理解していますが、もしかすると間違っているのかもしれません。 「阻止の随伴性」については、最近出た奥田先生のこの本が、入門書のなかでほとんど唯一言及しています。メリットの法則――行動分析学・実践編著:奥田 健次集英社新書(当ブログのレビュー記事)(次回に続きます。)