ボクの彼女は発達障害(ブックレビュー)

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Nice!

愛だけじゃ、やってけない。でも、愛がなきゃ、やってけないかも。ボクの彼女は発達障害: 障害者カップルのドタバタ日記著:くらげマンガ:寺島ヒロ監修:梅永雄二学研(ヒューマンケアブックス)はじめに登場人物紹介第1章 身だしなみといろいろな先入観 かわいい服が着られない!? 服を買いに行ったらパニック! 化粧ができないよ メガネにはこだわる 梅永先生のメッセージ1コラム くらげとあお、二人の出会い第2章 お出かけでドタバタ! チョイスができない! チョイスしたらそれがパターンに いつものレストランが満席でパニック! 「お金を大事に使う」ってどういうこと? 財布の中身は小銭だらけ! 梅永先生のメッセージ2コラム 発達障害の日常をイメージするには第3章 日常生活、あれもこれも 毒舌の理由 メガネで人を認識してはいけない 振り込め詐欺でパニック! 朝専用コーヒーは朝しか飲んじゃダメ? 確認することを確認するのを忘れる! 子どもが怖い! 梅永先生のメッセージ3コラム 1 あお、診断を受ける    2 あお、診断をうけて変わったこと    3 あお、親にかミングアウトする身近な人たちがまず理解して特別ではなく普遍的なふたりおわりにツイッターの私のタイムラインでは、発売前から大変に話題になっていた本でした。本書の著者である「くらげ」さん(@kurage313book)は、ご本人も聴覚障害があり、そして本書のタイトルどおり、交際している女性には発達障害がある、という「障害当事者カップル」のひとりとしてツイッターで積極的に発言されている方ですが、そういう立場や境遇からかもし出されがちな「力(りき)み」みたいなものを感じさせない、とても肩の力の抜けた方です。「肩の力が抜けている」というのは、例えば、交際相手であり、本書でも「実質的な主役」である「あお」さんのことを(ツイッターで)話題にするときも、そこには「発達障害という障害をもった女性」ではなく、「自分の恋愛対象である、他の誰でもない『あお』さん」が言及されているわけで、要は、ほんとにただのノロケ。(笑)でも、この「ただのノロケ」の対象になる、なれる、あたりまえの恋愛関係がつむぎ出される、ということが、どれだけの価値があることか、ということでもあって。それを実感している「発達障害クラスタ」の皆さんから大いに支持され、くらげさんがノロケるたびに、周囲がみんなして「もげろ」とか「爆発しろ」と「温かい声援」を送る、そしてときどき「あお」さんが障害ゆえにパニックを起こしたり精神的に参ったりといったことが起こったときに、問題を乗り越えられるよう一生懸命頑張る「くらげ」さんにも、共感とある種の羨望が投げかけられる、そんな、ツイッターをぐるっと見回してみてもあまり他では見当たらないような、独特の「くらげ空間」が生み出されているのです。本書は、簡単にいえば、そんな「くらげ空間」を紙面から追体験する本です。全体の半分弱はとても読みやすいマンガになっていますし、それに続くエッセイ部分もくらげさんと「あお」さんの会話中心で易しくスラスラと読めます。もちろん、「学研のヒューマンケアブックス」でもあるわけで、話題は発達障害であるがゆえの苦労話が中心になっているわけですが、それを力みなく受け止め、適切な配慮と対応で切り抜け、「それもまたあおの面白いところ」とノロけ、あろうことか最後は「XXXX、XX(自主規制)」と究極のノロケで終わっている(笑)この本を、私たちもそんなに力んで読む必要なんて全然ないはずです。ぼくかの↑学研ヒューマンケアブックスの一冊をコテコテのノロケで締めるという大暴挙。すべての読者はこの結末を読んで「もげろ」「爆発しろ」と思うことでしょう(笑)。そして同時に、とても手に入りにくい、とても大切なものに(うっかり)触れてしまったことで(うっかり)温かい気持ちになってしまうことを避けられないでしょう。それこそが、読者もまた(うっかり)「くらげ空間」に取り込まれてしまったことに他なりません。そんな「もげろ体験」ができれば、本書を読む意味は90%くらい達成されたと言っていいんじゃないでしょうか(笑)。・・・・・・さて。これだけだとただのティーザー広告みたいなので(笑)、少しだけ本書について真面目な紹介や考察なども書きたいと思います(まあ蛇足といえなくもないですけど)。本書は、聴覚障害のある「くらげ」さんが、オフ会で「あお」さんと知り合って交際が始まった頃から、最近にいたるまでに起こったさまざまな「あおさんが発達障害であるがゆえのエピソード」をとりあげ、それに対してくらげさんがどんなことを考え、どんな風に対応していったかを描くマンガ40%、文章60%くらいの割合のエッセイです。「くらげ」さんも、最初から発達障害のことに詳しかったわけではなく、交際当初に起こった身だしなみに関するトラブル(第1章で詳しく描かれています)で破局しかかったりしたことをきっかけに、発達障害のことを独学で勉強し、少しずつ「あお」さんのよき理解者になっていったことが分かります。そして、さまざまなこだわり、情報インプットが過多になることで判断や選択ができなくなること、「空気が読めない」せいで人間関係で苦労すること、人ごみやうるさい子どもなどに慣れることができずパニックを起こしてしまうことなど、「あお」さんのさまざまな苦労を目の当たりにして、でもそれらをありのままに受け止め、それも丸ごと含めた、かけがえのない大切な「伴侶」として共に生きていくことを選択しつづけていく姿が描かれていきます。先にも書いたとおり、ページ数もそれほど多くなく、またマンガや会話の割合も多いため、気軽に読みきることができるボリューム感です。この本で発達障害の全体像を知る、ということではなく、あくまでも一例として、「発達障害ってどんな感じなんだろう」ということをライトに知る、そういう本だと思います。そういう意味では「誰でも最後まで読みきれる」というライトさにも大いに価値があるでしょう。また、発達障害ではない「くらげ」さんの視点から、発達障害である「あお」さんのことが描かれていることを考えると、本書は厳密にいえば「発達障害の当事者本」ではありません。そうではなく、「発達障害のある人と本気でかかわるという経験をした人の本」です。そういう目でよくよく考えてみると、本書の執筆陣は全員が「発達障害ではない」人ばかり、けれども、「発達障害の人と深くかかわっている人」ばかりです。著者のくらげさんは「恋人が発達障害」、まんが担当の寺島ヒロさんは「息子が発達障害」、そして監修の梅永先生は「発達障害の人を支援するプロ」なわけですから。ですから、そういう観点からみるとこの本を貫いている隠れ(というかあまり隠れていませんが)テーマは「発達障害の人とどうかかわっていくか」なのだ、と気づくわけです。その「隠れテーマ」方面から、痛切に感じたことが1つ、あります。本書では、「『愛情』や『努力』だけではどうにもならないことが、障害にはたくさんある」ということが、繰り返し強調されています。ぼくかの 2だから、「あお」さんの「どうにもならないこと」を、パートナーである「くらげ」さんがよき理解者となり、ありのままで受け止め、その困難を乗り越えるためにどうすればいいかを一緒に真剣に考えます。…お気づきでしょうか?障害ある当事者にとって「愛情や努力だけではどうにもならないこと」を乗り越えていくときに、周囲の「障害ある当事者とかかわっていく人」の「愛情や努力」が時として役に立つ、という構造になっていることに。愛だけでは、やっていけない。でも、その「やっていけない」を誰かと共に乗り越えるためのエネルギーは、もしかすると「愛」から生まれるのかもしれない。本書は、実のところ、「かかわる側」「支える側」の「愛情や努力」の大切さを突きつける本になってるんじゃないだろうか。同じく「かかわる側」に立っている人間として、最後に残った「読後感」は、実はそこにあって少しほろ苦い気分にもなったのです。でもやっぱり、結論としては「もげろ」かな。(笑)※その他のブックレビューはこちら