のび太、15歳の誕生日、おめでとう。この日を迎えられる奇跡に感謝しています。お母さんは、12月に死んでたかも知れないもんね。突然、倒れて入院して、麻痺もなく生きて病院を出られる確率が3割程度、と言われて、のび太も、最悪の事態を覚悟した、と言ってましたね。甲状腺がんの手術から一年経たないうちにまた、のび太やお父さんにツライ思いをさせ、命の心配をさせ、覚悟を強いらせ、本当にごめんなさいね。お母さんが今、こうしてのび太の15歳を祝えることはのび太やお父さんがお母さんのことを想ってくれたからです。人の強い想いや祈りは信じられない力を与えてくれます。だから、お母さんは今、生きています。ありがとう。のび太への想いは、過去記事で誕生日の度に、語って来たので、多分7年前からさかのぼって読んで下さい。生まれた時から、一歳の誕生日も、7年前8歳の誕生日も、そして今も、全く同じ気持ちで、のび太を100%まるごと愛してやみません。15の君は、この前ニュースで話題になってた「自分が好きか」「自分に自信があるか」という問いに、「好きじゃない」「自信なんかない」と、当たり前のようにお母さんに斜めに 視線を向け、言いましたね。君たちくらいの年頃はおそらくほとんどの子がそうなのでしょう。お母さんだって15の頃は訳のわからない悩みやら想いやらが渦巻いて自分がわからないこともありました。だけど、のび太にあんな風に「好きじゃない」「自信なんかない」って、はっきり言われたらお母さん、かなりのショックだったよ。お母さんは、のび太の生き方、好きだよ。お母さんはのび太のことを自信持って、「うちの息子、良い子でしょ」「自慢の息子です」って言えるよ。のび太、もしかしたら自分が発達障害であること、もしかしたら特別な何かあることを知ってしまったかな?お母さんが入院中、発達障害関係の本やら資料やらの辺りを読んだ形跡があったから。それに、幼稚園の頃、児童精神科に行ったことを覚えてる、と、話してましたね。あのとき、もっと鋭く突っ込んで聞いてくれたらちゃんとあなたの脳の特性のことを話そうかと身構えていましたが君は、「何故?」とは聞いて来ませんでしたね。それは、解っていたからか、知るのが怖かったのか、聞いたらお母さんが困ると思ったからか…どうだったのでしょう。いつか、話さなければ、いつか、知らせなければ、いつか、君は知らなければいけないこと。それを知ったら、君は、どう思うでしょう。お父さんお母さんを恨むでしょうか。少数派に産んだお母さんを、それを君に黙っていたことを、恨むでしょうか。恨むなら、それでもかまいません。恨んで憎んで君の気が晴れるなら。だけど、お父さんもお母さんも、ありのままの君を愛しています。信じられないなら、このブログを面倒でも初めから全部読んで欲しい。どんな時でも、君のありのままを愛して来ました。そして、これからの未来、君がどんな道を歩もうとも、その愛情は変わることはあり得ません。少数派で生まれた君はいつも輝いて他の誰にも代えられないたったひとりの私達の子供です。迷った時、ツライ時、苦しい時、暗闇をさ迷うこともあるかも知れない。その時は、このブログを読み返して下さい。お父さんお母さんはもちろん、たくさんの人達に、のび太は愛されて、手を引かれて、ここまで生きてきたことを思い出して下さい。そして、君の存在自体が、たくさんの人達の生きる支えになり、勇気であり、希望であることを、知って下さい。幸せとは、明日があることだと思います。そして、生きる、とは、今、この瞬間を精一杯、ってことだと思います。がんになり、生死をさ迷って、今、こうして生きているお母さんはそう思います。お父さんとお母さんの元に生まれてくれてありがとう。15歳の誕生日、おめでとう。15歳の誕生日を祝えるお母さんはとても幸せです。