海の向こうで活躍する日本人カメラマン 写真家 太田康男さんの記事です。リンクさせて頂いている「うさにゅーす」のうささんのところで知りました。「あるがままの姿で・・・」というのは、療育も教育も親がやらないで「あるがままの姿が一番いいのよ〜」と何もしない状態のことではありません。療育も教育も医療も家庭の子育てもしっかりとして・・「成長していく子どもの姿を あるがままの姿で・・・」という意味だとわたしは思っています。数年前の まこちゃんが幼稚園の時代や小学校時代とは違って 世の中は大きく変わってきました。それでも・・改革後の今現在であっても、知らなければ、早期発見・早期療育が遅れてしまうし、療育・教育の必要性を知らなければ、遅きに失してしまい 子どもの人生に・・・後悔ばかりに泣きくれてしまうかもしれません・・・かつての私のように・・・です。障害のある子ども達にも 光輝く未来があると信じて、私はこれからも 一歩ずつ歩み続けたいと思います。そして、素晴らしい方に出会ったり、素晴らしいお話を聞く度に 「勇気をありがとう」と心から感謝しています。この記事を書かれた太田さんの気持ちが 胸をきゅ〜っと捕まれるくらい 涙があふれてしまうくらい心が同調してしまいました・・・。私達は 歩くことを止めることはできません・・・もしも止まっていたとしても・・・子どもの「成長の時計が止まることは無いのです」・・私の愛する息子のために・・・息子の愛するたくさんのお友達のために・・・私ができることを一生懸命にやっていこうと 勇気を頂いたお話です。写真家の太田康男さん(49)による写真展「金メダリストたちの肖像〜2009年スペシャルオリンピックス冬季世界大会」がクイーンズのフラッシング図書館で開催されました。〜4月1日までスペシャルオリンピックスとは、知的発達障害者のためのスポーツ大会。タイムや技を競うオリンピック、また身体障害者のためのパラリンピックとは異なり、知的発達障害者の自立や社会参加を目的としています。創設は1968年。先ごろ亡くなったユーニス・メリー・ケネディー・シュライバー(J・Fケネディー大統領の妹)が1962年に自宅の庭を解放してデーキャンプを行ったのが始まり。ユーニスの姉、ローズマリーも知的発達障害者でした。これまで在日韓国被爆者や温帯雨林に生きる先住民、伐採問題などをテーマとしてきた太田さんが知的発達障害者に関心を寄せるようになったのは、次男の自閉症がきっかけ。突然暴れたり奇声を発したりと普通の子供とは違うと感じたのが3歳の頃。市内の病院をたらい回しにされ、ニューヨーク大学病院でようやく診断がついたのは、1年も経った後でした。「親を超えて将来、立派になってほしいと思うのが親心。その希望がなくなったと知ったときの絶望は言葉では表せない」。苦悩した。友人に素直に告白もできませんでした。「毎日がひどい状態だった」。状況が少しだけ変わったのは、水が好きな息子をプールに連れていくようになってからで、スペシャルオリンピックスのことも知りました。昨年1月にアイダホで開催された大会には100を超える国々から約2500人が参加しました。太田さんは各競技で金メダルに輝いた選手たち68人を8x10の大型カメラで撮りました。一瞬の美や力強さを捉えるのがスポーツ写真ですが、彼らにそれは求められないのです。だから肖像写真のスタイルを選びました。 「一人ひとりの表情から、これまで生きてきたなかでの苦しみや喜び、スポーツへの情熱が伝えられたら」と。「これまでの人生で彼らは、人目を避けることはあっても、他人から誉められたり評価されたりすることがなかった。ここでは目標を持ち、励まし合い、達成した喜びを仲間と分かち合える。知的発達障害者とその家族にとっては、素晴らしい機会なんです」4月半ばにはロンドンで活動する知的発達障害者たちの劇団を取材する予定です。スポーツ同様、芸術も彼らへのセラピーとして有効ですが、単に医学的な面だけではなく、人間として生きる、いわば根源的な喜びに根ざすものであり、それは彼らにとって最も必要とされるものなのです。「9歳になった今、少しだけだがようやく言葉が話せるようになってきた。一生治らない。よくならないと言われたけど、子供は成長する。ひどく落ち込んだり妻と諍いもするが、息子の何気ない仕草や表情でふたりとも救われる瞬間があります。WHOによると知的発達障害者は 全世界の人口の約2〜3%。約1億7000万人にも上ります。にもかかわらず、われわれのところに伝わってくる姿はほんの一握り。これからも彼らのあるがままの姿を、さまざまなかたちで伝えていきたい。息子とともに、成長しながら」 まこちゃんの学校の事で 3月半ばからずっと忙しくて、メールのチェックも迷惑メールに入ってしまったメールを発見できずに・・・今ごろ 発見して・・あらら・・・という感じでした(汗)2月に見た夢見通りに物事が返ってきました。その後の展開は私が関わることの無い世界です人は出会うときに別れも決まっている時があります。そんな時は どうして無理をしてまで会う必要があったのだろうと思うのですが、そればかりは時の番人に聞いても わからない事かもしれません。4月は 新しいスタートです。物事が急激に展開して行くので、追いつくのに大変な時期かもしれません・・・人には人生のキャパシティがあって、物事ができる分量はきまっているのかもしれません。できないことを無理してこなそうとすれば、どこかに無理がでて、ある日突然、心臓がぴたりと止まってしまうかも・・・私の気持ちも謎かけみたいな霧にずっとつつまれていて、霧がはれずにもやもやとしていたのが、キャパを超える問題を考える前に 問題が消えたので、ほっとして 気持ちが晴れやかになっています〜私の今の状態では まこちゃん以外の誰かのために使える時間が無いのに、無理をすれば心臓が止まる〜と 神様が助けの手をさしのべてくれたのかな?と思ったりしています。「汝の隣人を愛せ」の隣人とは 妻であり、夫であり、子どもであり、家族のことです。愛する人達よりも 隣の困っている人を助けよ・・という意味では無いのですが・・・家族がみんな仲良しで愛し合える家族でいることを守ることも とっても体力を使うし心を砕くし 大変なことなんだって・・・妻であり母になって感じています。私達 夫婦にとって 子どもは命です。 誰よりも誰よりも愛する家族を守り育てられたら 私は幸せな一生を過ごせたな〜って思うのかしらと・・・そんな事を思うのも、進行性の末期癌と宣告された・・私を小さい頃に育ててくれた叔母のことを考えたり・・・ 私の両親はといえば 私を頭から管理して、この年齢になってもいまだに私をつま先から頭のてっぺんまで全て管理しようとして あやつり人形のように私の行動を制御してしまう両親との距離感も考えます。「もういい加減にして!」と激怒した私は 本当はもう両親のいる実家に帰りたくは無いのです。けれど 生まれ落ちるときに「親は選べません」(選んでくる子どももいるのですが=私は絶対に違う〜〜と叫びたい〜爆)まこちゃんもいつの日か 私に「僕は自由に生きたいんだ! もう僕を自由にして!」と言ってくれる日が来たらいいな〜と・・ ささやかな夢なのですが・・・。なんだか つれづれに書いたら まとまらない文になってしまいました・・・いろんな思いがつのる桜の季節・・・この気持ちが 桜の花びらといっしょに風に乗って飛んでいってくれますように。