「障害」を言い訳にしないで

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Nice!

今まで何度も何度も記事にしているが、私は障害を理由に過ちを正当化するのは間違いだと思っている。たとえ、障害の特性からくるパニックだったとしても、そのせいで誰かにご迷惑をおかけしたらまず、謝るのが、社会生活する上での基本だと思っている。その障害の特性のパニックの理解を求めるのはその次の話だと思っている。のび太小学校の支援級に通うAくんが(自閉症&ADHDのお子さん)自転車でBくんの後方から轢いたらしい。ふいをつかれたBくんは大事には至らなかったが頬と額を切って流血だったようだ。まあ、根本はBくんがAくんのゲームをムリヤリ「貸して!」と半ば強引に取って、道路上でやっている最中に怒り狂いパニクったAくんが自転車で突進した・・・・・ということで、もちろん、Bくんが、悪い。しかし、怪我をさせてしまったAくんも、結果としては、悪い。だから、もしAくんが私の息子だったら、まずBくんに対して謝らせてから、問題の根本に・・・と、思うのだが・・・しかし、Aくんのお母さんは違った。「うちのAは悪くない。 BくんがAのゲームを取って勝手にやっていたのだから 怪我をしてしまったのは自業自得。 Aは謝る必要などない。 BくんこそAに対して謝って欲しい」と、Bくんの家に乗り込んで行ったらしいのだ。もちろん、BくんもBくんの親も怒り心頭。Bくんの親、いわく「Bがはじめにゲームをとってしまったことは 確かにいけないことだと思う。 それについてはBに謝らせようと思う。 しかし、だからといって怪我を負わせたことを 『謝る必要がない』と面と向かって言われるなんて どういうことなのか。 怪我をさせられたことに対しては謝って欲しい。」と、返すと、Aくんの母親は、「うちの子供は1年生の頃から皆さんにもお話している通り、 障害があって気に入らないことがあると パニックになることがある。 今回のことはBくんがAにしたことに対するパニックだし、 障害のせいだから、Aのせいではない。 だからAは悪くないし、謝る必要もない」と、主張。・・・・・。このまま、Aくんはいつも何かあるたびに、「障害のせいだから謝らなくていい」と、親に言われて育っていったとしたら、この先どうなるんだ?!どんなに障害から来るパニックだとしても自分が相手を傷つけたことを反省しない限り、自己コントロールを学習できるせっかくの機会も持てないままだし、「謝る」という学習もすることがないまま、一生、全ての行動を親に「障害のせいだから」と言い訳してもらって生きていくしかないのだろうか?どんなに障害があっても私たちは社会生活と関わらずには生きていけないのだ。基本的な社会生活のルールや、人とのやり取りを、「だって、障害があるからしかたないでしょ!」とか、「あら、だって、自閉症の世界ではこういうもの。 これが自閉の世界では当たり前なのよ。 多数派の人たちって、いつまでたっても 私たちに無理解でヒドイと思います!」とか、「どうしていつも少数派の私たちばっかり 多数派にあわせなくちゃいけないんですか? 私たちはこういう障害なんです! だから、いいじゃない!」とか・・・そういう自分勝手な屁理屈で主張しても余計に反感を買い、発達障害そのものが逆に偏見の目で見られてしまうのだ。 まず、社会のルールや基本的なコミュニケーション方法を私たちがある程度、学習することから(子供へは親が教えることから)発達障害への理解も深まると言うものだと思うのだが。Aくんのお母さんの主張が私たち発達障害者を逆に貶めるものだと言うことに気が付いてほしい。