火曜日の会

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Nice!

先日もう10年以上の付き合いになるあんくの幼児期に通っていた療育で知り合った通称火曜日の会のメンバーと久しぶりに会う…毎週火曜日に療育があったから…就学後も火曜日に時々集まっていたからそのまま「火曜日の会」…単純なネーミングだけれど…(; ̄ー ̄Aうち二人はつい先日も別の会合で顔を合わせたばかりだったけれどあんく達の実際の療育や支援のより実践的な話は やっぱりこのメンバーでなくっちゃ…??と、今回この場を設けてくださった方の言葉をお借りするあんくの幼児期も育ちも現状もご存知だからこその指摘も容赦なく甘いことを言っていると 厳し~い意見やお叱りを受けるのも常で…お世辞や上っ面の対応ではなく支援の実戦に繋がる具体的な助言や有用な情報をいただけるこのメンバーでは 同期の療育の親の仲間だけれど支援の実践においては特に教わることが多い…自身の実践を語っても無関心に流されたりただ賞賛を受けたり持ち上げられて終わり…なんてことはない少しでも成長が見られたら 一緒に喜び、参考にし合い、失敗も悩みも語ることがそのまま学びに繋がるその関係は今も変わりなく だからこそ違和感もなく居られたのだな…と思う居心地がいい…人付き合いが苦手な私にこうしてそこを離れても居場所を残してくれる仲間に巡り会えたのもあんくが居たから… 時間というプレゼントを与えて差し上げて下さい幼いあんくを抱え途方に暮れていた頃、主治医の先生が親の為の学習会で仰ったあんくの育ちを応援する為何よりも時間をあんくに費やせ…とそれは本気で向き合い、付き合え…という意味だったのだと今は思う片手間で育てられるものではない…ということあの頃 色々な相談機関を巡り歩いたけれど相談に訪れた先でそんなことを言われることは無かった もっと言葉がけを… テレビに子守をさせないで…と、言葉の遅れ=テレビばかり見させている=関わりが足らないそういう先入観で指導されることはあったけれどそれらの助言は責め句のように聞こえて哀しみや…怒りさえ覚え奥歯を噛みしめた 大変ですね… いずれ治りますよ… 優しい言葉は同情や気休めに聞こえた…どれも 人事だからこそ言えることだと… そう思えた相談の専門機関でさえ 診断を先送りされることに不信感を抱いた親の精神的な負担を思ってのことだったのかもしれない…今ならそのことを理解することは出来ても当時の私には 腫れ物に触るかのような対応がかえって痛かったそれより具体的な支援を一つでも知りたかった…どうすれば平穏な生活が送れるのか…それだけを知りたかった 可哀想に…あんくに対してそう言われることは自分が責められているように感じ 大変ですね… よく見てあげて下さい…自分への同情の言葉はあからさまに侮蔑の言葉を浴びせられるより傷ついた弱点を晒すかのように 必要以上に明るく 聞かれる前にあんくのことを話してみたり一見もう全てを受け容れているかのような前向きな発言をして気丈に振る舞うことも…傷つけられることを恐れるが故の自己防衛に過ぎず本当はきっと 恐れていた… 私はまだあんくの障害を言葉で表すよりきっと 受け容れられてはいなかったのだと思う弱音を吐いてしまえば際限なく駄目になってしまいそうで無理矢理前を向いて立ち上がろうとただ足掻いていた