君がいれば大丈夫 (プロフィール その3)

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Nice!

ちびごんが小学校に上がる前に舅が、小学校1年のときに私の母が亡くなりました。
母がなくなったときに、病室の引き出しの奥から、飲んでいたはずの薬が沢山見つかりました。

母はごく一部の人から預言者と言われている人に
「わたしの言うとおりにすれば貴方のお孫さんの障害が治りますよ」
と言われ、言われたとおりに薬を飲んでいなかったのです。

不幸ってなんだろう?
なくなる1ヶ月前に母が電話でわたしに
「かわいそうにかわいそうに、あなたの人生なんだったんだろうね」
と言っていたことを思い出しました。
母からみれば私とちびごんはとても不幸でかわいそうで、母は、私とちびごんを可哀相なままにしたくなかったのでしょう。

私はそんなに不幸ではなかったのに・・

“障害があるのが不幸なのではなく、障害があることを不幸だと思うことが不幸なんだ”そんなことを心の底から思った出来事でした。

母の日のカーネーション

ちびごんが8歳くらいのときのことだったでしょうか。はっきり覚えていません。
母の日が近づいたある日、テレビでは母の日特集を放送していました。どんなカーネーションを贈るか、みたいな内容だったと思います。

テレビを観ながらぽつんと
「いいなあ。わたしは一生カーネーションなんてもらえないんだろうな」
とつぶやいてみました。

夫がなにか言ってくれるのをちょっと期待していたのですが、なにも言いません。まあこんなもんだわ、と心の中でつぶやいた私。

ちびごんは私のそばでいつもと変らずに手をひらひらさせながら楽しそうに歌を歌っていました。

次の日の午後、スクールバスのバス停でちびごんの帰りを待っていました。バスが着くと急にちびごんが走り出し、近くのコンビニへ入ったのです。

後を追いかけると、すぐにちびごんがコンビニで売っていたカーネーションを箱ごと抱えて出てきて、箱をドンと私の前に置いたのでした。
母の日のカーネーション
びっくりした私は
「なにしてるの!お店のものを黙って取ってきたらどろぼうだよ!」
と激しくちびごんを叱りました。

ちびごんはぽかんと口を開けしばらく私の顔を見てから、下を向いて指しゃぶりをはじめました。

家についてしばらくして“はっ!”と昨日のことを思い出しました。わたしのつぶやきを聞いていたんだ。

ゆらゆら体を揺らしながらなにかつぶやいているちびごんに
「カーネーション、おかあさんに持ってきてくれたんだね。ありがとうね。ごめんね・・」
と話しかけましたが、ちびごんは無反応でした。

どうして、箱を持ってきてくれたときに“ありがとう!”といって抱きしめてあげられなかったのか。なぜそんなことに気が付かなかったのか。

今でも悔やまれてなりません。

状況の変化

我が家の経済状況か怪しい雲行きになってきたので、わたしはポストにチラシを入れて歩く“ポスティング”をはじめました。ちょっとづつお金を貯めていく日々。

あるとき、本当にお金がなくなり、貯めたお金は1ヶ月消えました。それからは、ちびごんのことを中心に考える生活ができなくなりました。
ちびごんは水が大好きだったのですが、プールに連れて行くのが大変になりスイミング俱楽部をやめてしまいました。
気持ちに余裕が泣くなり、なにも言えないちびごんにやつあたりするようになりました。そんな自分がいやでいやでたまりませんでした。
ちびごんのために作ったサイト(このサイトのこと)を沢山の人がメッセージで褒めてくれました。“こんなわたしがこのサイトを作っていると知ったらメッセージをくれた方は失望するにちがいない”そう思うとこのサイトの更新ができなくなりました。

ちびごんの障害とは全く関係のないサイトを作って広告収入を得たり、内職をしたりパートを始めたり、収入はちょっとづつ増えるものの、状況がどんどん悪くなり、わたしの稼ぐお金が追いつきません。

夜中に、ああ、もうだめだ、どんなにがんばってもだめだ。わたしの力じゃダメなんだと目をつむって考えていました。

ふと目を開けるとちびごんがわたしも見ていました。目があうとにっこりと笑いわたしのほっぺたをなでなでしてくれました。

この子がいれば私は大丈夫だ。これからも頑張れる。がんばるよ。うん。

今も状況は変らずだけど、素敵な未来にするよ。必ず。 

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