「お母さん!今日、学校で大事件があったんだ!」!!!大事件?!何かと思って聞いてみると、Tくんの椅子の上に画びょうを置かれてあったり、Tくんの名前でHちゃんのくつ箱にラブレターがあったり、Tくんの鉛筆が全部折られてあったりしたらしい。・・・・・ご・・・ごめん・・・お母さんはフラッシュバックだよ~~~しかし、驚いたことにそれを仕掛けた人はMくん、Iくん、Fくん。Mくんは去年、のび太がいじめられていた時に「のび太、アイツラは無視しろ!」と、味方になってくれた子。Iくんも幼稚園から一緒でとても穏やかで優しい子。その子たちが何故?!と、驚いた。「先生が泣きそうになって怒ってた。 『いじめを絶対に許さない学級』だったのに また『相手の気持ちを思いやれないクラス』に 戻ってしまって悲しい、って」小学生のうちは確かに、多かれ少なかれいじめの芽はどこにでもある。だけどそれを許さない大人に叱ってもらって怒られてそれを繰り返してだんだん理解してくるものだ。だけど、ショックだったのは「いじめ方」だ。椅子に画びょうを置いたり、鉛筆を折られたり・・・などと言うのはかなり悪質だと思うし、小学生がやるイタズラにしては度を越えている気がする。それにいじめていた子たちが、本当にいい子ばかりでいじめをする子、というイメージを持ちづらいタイプ。去年、私も学習したが、大人のイメージで子供を見るのは間違いなのだ。大人から見れば優しく穏やかな子に見えても、いや、どんな子でもいじめる側にもいじめられる側にも簡単になりえることが出来るということだ。ちょっとしたきっかけでいじめの被害者にも加害者にもなってしまうことがある。それにしてもそのいじめ方が恐ろしい。「Tくん、辛かったね。 のび太、Tくんがいじめられているの知ってたの?」「知らなかったよ。 今、席も離れてるし、Tくんもいじめてる人もみんな ○班の人なんだよ。 他の人にはわかんないようにこっそりやってたみたいで 誰も知らなかったんだよ」そう。今のいじめはかなり陰湿で周りの誰にも悟られずに嫌がらせを受けてしまうことも多いらしい。去年ののび太みたいに嫌がらせを受けて大騒ぎして大泣きするくらいの方が逆にある意味、自己防衛になるのかもしれない。Tくんは勉強も優秀でクラス委員もやる子。のび太みたいに泣き喚いたりする子じゃないから本当に心の中で溜め込んで辛かったに違いない。「もし、そういう風に誰かがいじめられてたら 今度はのび太が見方になって助けてあげるんだよ。」「う~~~ん・・・どうすればいいのかな? でもさ、怖いよね、出来ないかもしれない」「そうだよね。怖いよね。 だったら、その人たちには何も言わなくていいから すぐに先生に教えに行くとかしないとね」「ああ!なるほどね! それなら出来るかもしれない!」「のび太は?今は嫌なこととかされていないの?」「うん、今はなにもないよ」「それと、誰かに嫌なことしたりしてないよね?!」「してないよ!嫌なことってどうやってするのかも よくわかんないもん」せめてもの救いは、C先生が適切にキッパリと叱ってクラス全体の問題として話し合いをしていると言うこと。去年ののび太の時は全く無かったことだ。Tくんのいじめの話でフラッシュバックの私だったが、のび太が平気でこの話しをしてくれたことがビックリ。のび太いわく、「ボクの時とはいじめ方も違うし、先生も違うから。 先生、スゲ~怒ってたもん」なるほど。やっぱ、先生の対応って本当に大事だと思う。